免許返納

今日自動車運転免許を返納してきた。
来年の4月30日まで有効な免許だ。
取得の時は、実に大変だったのに、返納はあっという間だった。
実際に運転した期間は2年強。基本的に晴れの日だけの運転。雨、雪、夜は運転しない。これでは意味がない。ここ20年くらいはまったく運転していない。これでは持っている意味がない。
秋田県では、返納して運転経歴証明書を取得した。これがあると秋田県内はタクシー代が一割引になる。


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この頃のこと

やっぱりパソコンデスクに向かうのがおっくうだ。


そんなことを言い出してからもう何年にもなる。

何日かに一度、メールだけはチェックしているが、めったに他人様のブログまで訪問することはない。


で、何をしているかというと、外出のない時はごろりと寝転び、フェイスブックとツイッターを読んでいる。こちらはスマホを使用するから横になっても容易に使用できる。後は、文庫本。最近は時代物にはまり、シリーズの全部を読み終えなければ満足しない。


外出 1

6月25日、後縦靱帯骨化症の手術後2年。一年ぶりに病院に行ってきた。レントゲン数枚を撮影して受診。異常ないという。しかし、脊髄を見ることになりMRIを撮ることになった。この日は、胸椎。7月2日に頸椎。

2年前、初めて受診したとき、腕をまっすぐ上に伸ばし、目の前の木製のポールの上部を握り、首を後ろにそらせて頭を倒し、レントゲンを撮った。その瞬間、頭の天辺からつま先まで電気がびりびりと走った、やっとのことこらえて、終えた。

今は同じ姿勢を取っても、なんともない。右の掌の痺れも、少し軽減したようだ。

そんなわけで、手術は成功だった。


この病院は、大館市にある。

帰りに大館の駅前に最近できた「秋田犬の里」を訪問した。

大きくて天井の高い建物の一角に秋田犬が展示されていた。好きな人にはたまらないらしい。時間が来て促されてもなかなか立ち去ろうとしない。


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6月22日と23日、”2019 支援者養成基礎講座 ~暴力被害をうけた女性と子どもに寄り添う~”を受講した。秋田市の主催。講師はNPO法人Saya-Sayaの皆さん。


テキストはアメリカのオレゴン州「NPOラファエルハウス・DV被害者支援マニュアル」の翻訳。

一コマ2時間で3コマ、の充実した研修だ。

初日は、抑圧理論、性暴力、ドメスティック・バイオレンス。

二日間終わってくたくたになった。

次回は、7月6日と7日。付いていけるかどうか。


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京都

6月1日、いつもの宿のいつもの朝食。

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午後のメインイベントまで暫くあるので、京都文化博物館へ。
お土産に和紙を購入した。折り紙に情熱を傾けている方がいる。

高島屋へ。
ここでもお土産を購入。バトンドール。
おもちゃ売り場でマジックの仕掛けを購入。

いよいよメインイベントへ。

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充実した会議の後で、有志の懇親会。
熟睡した。


6月2日。

朝食はイノダコーヒ本店で。
ビフカツサンド。
秋田ではビフカツにお目にかかることはほとんどない。
志津やは安いので時々購入する。

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青蓮院。
いわゆる青紅葉の真っ盛りだった。

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一番見たかったのがこれだ。
秀吉寄進という手水鉢。

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帰りの飛行機から眺めた鳥海山。
風力発電。秋田は有数の風力発電地。

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秋田は涼しい風が吹いていた。
京都へ届けたいと思った。

神戸に行ってきた

5月31日。本当は千早城跡へ行くつもりだった。

しかし、大阪空港で降りてビル内を歩いていると兵庫県のコーナーがあって、神戸市内を40分くらいで回るバスがあることを発見した。

急遽目的地を変更。直ぐに三宮行きのバスに飛び乗った。

何年ぶりだろうか。
少しは友人に案内してもらって歩いたことがあるが、そもそも神戸市内を回遊したことがない。

スカイバスに乗る。
無蓋の二階建てバスだ。

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神戸税関の重厚な建物やらポートタワー、南京町の入口などを眺めて40分のツアーを終える。

空腹をおぼえたので、三宮駅から元町駅まで電車に乗り、南京町へ。
横浜ほどの規模はないが結構な中華街だ。
いろいろ迷った末、一軒に入り天津飯セットと小籠包をオーダー。
すきっぱらにしみわたった。

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小雨が降ってきたのでタクシーに乗って生田神社へ。

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三宮駅から京都駅までの特別(?)快速に乗る。
早いのなんのって、在来線を走る秋田新幹線こまちよりよほど早い。
揺れも少なく快適だ。
こちらの人が奥羽本線や羽越本線に乗ったらびっくりするだろうな。

京都駅到着後、辻利でほうじ茶と煎茶を、イノダでコーヒ豆を購入した。

後は宿までタクシーに乗りチェックイン。

晩飯は、ここ。

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いろいろと考えた末。すき焼きにした。
運ばれてきたのがこれ。
肉の下に野菜とこんにゃくと豆腐が入っている。
下の方から煮えるから、底にある物から食べて、肉はひっくり返してよく焼いてから食べる。

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小吉の女房 の旦那 他

NHKドラマの「小吉の女房」を見た。

勝小吉役の古田新太と女房役の沢口靖子を始め息の合った出演者のおかげで楽しいドラマを見させてもらった。
ふと、勝小吉と言えば、「父子鷹」があるはずと思った。子どもの頃、我が家は読売新聞を購読していたので連載小説のそれがかなりの評判を呼んでいたことを憶えていた。
調べてみるとKindleで読むことができる。
早速購入して読んでみた。これが面白い。もちろんドラマとは異なるところもあるけれど、基本的に流れる空気は一致している。十分楽しんだ。

マスカレードホテル。
学生の頃、京都国際ホテルなどでアルバイトの経験があるせいかホテル物は好きだ。アーサー・ヘイリーの「ホテル」も面白かった。主人公が大学で厨房の知識も習得していることにアメリカの大学における実践的な教育のすごさに驚いたものだった。

カササギ殺人事件。ウ~ム。読み通すのに結構時間をかけた。

多岐川恭にはまっている。たいていはデジタル版だ。きらりとしたミステリーの欠片を配した短編の数々。面白い。

後は、算盤侍の最新刊「縁の川」。辻堂魁の時代物。

毎日、時代物に浸っている。

一生読めないだけの本を抱え、ただお迎えを待つばかり。
整理したいもののたいしたお宝はないから処分しても二束三文だろう。ならば読めるだけ読みたい。でも思考力は衰え、難しい本には手がつけられない。若い頃からの修養が足りないのだ。読めるのは大衆小説かせいぜい中間小説。もうこれで良しとしよう。思考を逞しくして、驚くような論文が書けるわけではない。これまでの怠惰な読書生活に罰が当たったと思うことにする。



10連休

世間は10連休だ。

わたしゃ365連休。
毎日が寝てよう日だ。

改元のめでたい日を祝ってその翌々日、さて今日は何の日かと思った。
憲法記念日だった。
わからないはずだ。
かつては自治体主催の憲法講演会があったのに、今では講演会のこの字も聞こえない。ははのんきだね。
日本国憲法の素晴らしさをこの日に再認識する、それが憲法記念日。

なんだかな・・・・・・

法事

叔母の四十九日があって小樽へ行ってきた。

十九日、新千歳空港に着き、昼時だったので駅で鯖寿司の弁当を購入した。
肉厚で美味。これまでで一番の鯖寿司だった。

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いったん小樽で下車。乗り換えて余市の親友の所に向かった。
途中、蘭島を通過。叔母が銭函と共に良く海水浴に連れてきてくれた場所だ。

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余市着。

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親友のマッサンは出迎えてくれないので、いつもこちらから会いに行く。

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マッサン宅に着くとまず例によって軽く一杯。
ワンショット千円のウイスキー、続いて二百五十円のもの。

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続いて試飲会場へ。
かつてはいくらでも飲み放題だったけれど、今は二種類一杯ずつのウイスキーとアップルワインを一杯だ。

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後は売店で、ここでなければ売っていないウイスキーを購入。
G&Gはもう販売していないとのことだ。
サントリーのダルマの対抗商品。好きだったんだがな。

小樽に戻り、チェックイン。
素泊まり二泊で七千円のホテルだ。
古い建物だから設備はビジネスホテル初期の物。
この値段ならと納得した。

夜は叔父と会食。
八角の刺身などで結構飲みすっかりごちそうになった。
暫く街の中を歩いて案内してもらう。
かつてここは川だったとか聞いていると懐かしい思い出が蘇った。川を覆って暗渠にして今は道路になっている。そんな場所が市内には何カ所かあるとのことだった。

ホテルに帰る途中ケンタでチキンを購入。ホテルで食べた。


二十日。
朝食は鱗友朝市で摂ることにした。
市場に入ると、店の人たちが挨拶してくれる。
どこの店でも声をかけてくれる。こういう感じのいい市場は初めてだ。

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食堂に入って千円の定食に心そそられたが、イカの刺身定食にした。時価。
支払いの時に聞いたら千三百円とのこと。安くて拍子抜けした。

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乾燥ホタテ千五百円を購入。お得だった。

法事まで未だ時間があったので、小樽市総合博物館に入館した。
以前も入館したことがあるが、その時は本館のみだった。実はこんなに広い敷地に機関車や客車などの車両が展示されていることを知らなかった。
お婆さんと一緒の5歳になるという鉄道坊やにいろいろ解説してもらった。詳しいのなんのってまあたまげた。

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たまに列車を走らせて転車台も使うというから機会があったら見に来たいと思った。
でも無理だな。

そして法事が始まった。
会場はれっきとした寿司屋の二階。
祭壇が備えられて、般若心経など僧侶の読経。
あちこちですすり泣きが聞こえる。
なんだか叔母がほほえみを浮かべて「gちゃん」なんて言って出てきそうな感じがした。
随分可愛がってもらった。ただただ御冥福を祈った。

仏事をつつがなく終えて、会食になった。
さすが小樽の寿司屋だ。

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こんなに食べた後で更に二次会へ。
お土産に自家製のイカの塩辛を購入した。塩以外は何も入っていない。帰宅してから食べたがうまかった。

ホテルに戻って小腹が空いたのでラーメンと餃子を食べに行った。


二十一日。
帰る前に、小樽の町中を散策した。

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昼食は小樽駅の寿司カウンターでたっぷりと寿司を堪能。

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祝 70歳

遂に70回目の誕生日を迎えた。

ひ弱な子どもだったから、まさかここまで生きるとは誰も思わなかったに違いない。

足腰はがたがた、皮膚はたるみ、腹は出て、髪も薄くなった。
希望も夢もなくただ惰性で息を吸い、飲み喰っている。

長生きでいいこともある。医療費の自己負担が3割から2割になる。
公共施設などでは爺割引や無料もある。
長生きはするもんだ。

憎まれっ子世にはばかる、ここまで来れば死ぬまで生きてやる。

鎮魂の旅

知らせを受けて急ぎ旅立った。

叔母が急死したとのこと。
3月21日、全日空で千歳へ向かった。

小樽の斎場へ入り、その日は湯潅と納棺だった。

子どもの頃から良く面倒を見てくれた人だった。
小学生の頃は、蘭島などの海水浴場へ連れて行ってくれた。
小学六年生の時、ふと気が付くと椅子に腰掛けて私の日記帳を読んでいた。
絵心も無く手先の不器用だった私は、夏休みの宿題と言えば日記だった。
これは結構自信があった。
よほど面白かったのだろうか。よく読んでいる姿を目にした。

社会人になって、叔母の家へ遊びに行った時、義理の叔父やいとこたちも大歓迎してくれた。
夜は大好きな鶏の半身あげをはじめ魚介類のごちそう。
朝はと言うと、分厚い塩鮭の切り身、脂がのって実にうまかった。他にも何皿かあったが、もう憶えていない。

最後に会ったのは、昨年の10月、9月に亡くなった叔父の四十九日の法要の時だった。いつもの通り言葉少なに微笑を浮かべていた姿を思い出す。
ただただ冥福を祈る。

夜は、寿司屋へ。
入店したのが、20時5分。15分がラストオーダーだという。大急ぎで注文した。
イカの塩辛は品切れ、八角も売り切れとのことだった。
後はおきまりを注文するしかなかった。

22日。
雪がちらついている。

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相変わらず、このホテルの朝食はいい。

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外に出るとあまりに寒いので、毛糸の帽子を買った。
これで一息ついた。

午後6時からお通夜。
それまではこれといって仏事はない。

最近できたという似鳥美術館に足を運んだ。

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東山魁夷、平山郁夫、山下清、藤田嗣治など巨匠の作品がずらりと並び壮観だった。小樽には市立の小樽美術館もある。小さな建物だけれど、どこかほっこりする作品が鑑賞できる。

暫くぶりにガラス製品を見に行こうと思った。北一硝子。先日京都で買ってきた線香を立てるため硝子の線香立てを購入した。

駅前に戻り昼食にラーメンを食べた。

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斎場に行き、通夜の開式を待つ。

あちこちですすり泣きが聞こえる。
手を合わせて焼香をする。
僧侶が在りし日の叔母の姿を紹介してくれた。
あまりにも早い旅立ちだった。

23日。
目覚めると雪が積もっていた。

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葬儀。悲しみを新たにする。

この後、参加者の多くは火葬場に行くが、私は帰りの時刻が迫っていたので、帰らせてもらった。

命短し 旅せよ 爺

さて最終日3月13日は、前橋へ。

東日本の県庁所在地をこれで全部制覇。

観光ポイントは県庁とのこと。

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ここの展望室は素晴らしい。
なまじ高くないところがいいのだ。
高すぎると飛行機からの風景と変わらない。このくらいのところでじっくり見渡すのがいい。

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次は東照宮へ。

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御朱印を頂いて、昼食に。

群馬と言えばソースカツ丼。やっと食べられました。

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高崎へ出て、だるま弁当を購入してこまちで食べ、無事ご帰還。二万六千円の汽車賃は安い!

旅せよ

3月11日

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朝食後、チェックアウト。踊り子号で熱海へ向かう。

目的は、これだ。

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MOA美術館。

ロケーションも素晴らしい美術館だ。

このような長いエスカレーターは大塚国際美術館にもある。
九州国立博物館にもあったが、やはりここが一番。
上へ上へと吸い込まれていくようで天に昇る気持ち。
初めてきた時には本当に感動した。

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お目当てを見て駅に戻り、梅園に行こうと思ったらバスの便が良くない。観光案内所で聞いたら、もう梅はほとんど終わったのだという。

今夜の宿がある桐生へ向かった。

3月12日。

あしかがフラワーパーク。
チューリップと梅が真っ盛り。
大藤が咲いたらどんなに素晴らしいだろう。

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足利へ戻り、足利学校を見学。どういういわれがある建造物かやっとわかった。

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最後は桐生へ戻り、桐生織物記念館へ。
見応えのある展示物。
織物の展示即売もあり面白かった。
土産に織物でできたしおり、コースター等を購入。

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夜は宿で紹介してくれた店で夕食。
紹介されてきましたと言ったらビールとウーロン茶をサービスしてくれた。

今日もいい日。

命短し

またまた旅行。

3月9日秋田を出発。内孫と対面。
翌10日。横浜でお宮参り。

新宿御苑へ行く。
ここで外孫二人と食事する。

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梅が満開。
実に大きな公園だ。初めての入園だが、もっと早く来たかった。これからちょくちょく来てみたい。

夜は横浜に戻り。
中国料理の饗宴。

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以下略

紹興酒をがぶがぶ飲んだからよく憶えていない。
翌日は二日酔いにならなかった。
酔い覚めが良い酒だ。良い料理をしっかり食べたせいもあるかも知れない。

京都へ 3

24日。校友会の次に大事なことがあった。

朝は例によっておばんざいのバイキング。

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学生時代、母の伯母といとこたちが京都で暮らしていた。私はその方々に大層お世話になった。
一番下の従兄のお嫁さんが一昨年亡くなられたのを知ってこの機会を利用してお焼香に伺うことにしていた。
ホテルでぐずぐずしているうちに予定の時間に遅れそうになったので、山科までタクシーに乗った。さぞかし高いだろうと思ったが、安かった。秋田は高い。京都は観光客が多いこともあって、タクシー料金は比較的廉価な地域に入るとのことだ。

お宅にお邪魔して、お焼香。
じっと手を合わせているうちに涙がこぼれそうになった。

その頃、母の伯母もお元気で、訪ねるといつもすき焼きをたらふく振る舞ってくれた。ゴヤの展覧会のチケットを頂いて、着衣のマハと裸のマハを見たこともある。また、南座の顔見せのチケットも頂いた。初々しい玉三郎を見ることができた。

その叔母と一緒に世話をしてくださったのが亡くなったお嫁さんだ。
気の利かない私のことを嫌な顔一つせず、いつでも微笑を浮かべて歓待してくれた。イノシシの肉を振る舞ってくれたこともある。ある年、京都在住の記念にとおけら参りに行ったことがあった。夜遅くなったのに起きて待っていてくれた。思い出は尽きない。ただただ御冥福をお祈りした。

三条京阪まで出てそこから京阪電車に乗り換えて四条へ。
高島屋のおもちゃ売り場でマジックの仕掛けを二種類購入した。
昼食は、7階へ。京の食べ物のイベントが開催中で、蕎麦を食べた。
後は村上重の漬け物と草餅を購入した。

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今回は観光らしい観光をしていない。
そこで情報通の従妹が教えてくれた京都浮世絵美術館へ行った。

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”将軍と京都”展。京都の各地へお出ましする将軍の様子が色鮮やかに描かれていた。ふと、絵師や摺師がこの光景を直に見たことはあるまい、これはあくまでも想像の産物なんだと思うとかえって面白くなった。面白いクリアファイルを購入した。

八条口からバスで大阪空港へ。

無事秋田へ着いた。

京都へ 2

朝食のこのプレートが運ばれてきた時には、思わず、「他にもあるのでしょうか」と聞くところであった。

それほどシンプル。思わず、魚のありかを探したくらいだ。

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チェックアウトしてホテルを移動。
公共交通機関で行こうと思ったが、荷物が重く、ホテルの前に駐車していたタクシーに乗った。

代わったホテルで荷物を預け、大丸に行った。
セカンドバックを買おうと思ったのだ。
実は、数年前のこの頃、ワゴンサービスでコインケースを購入したのだが、今でもしっかり機能している。壊れないのだ。これですっかり気に入った。
結局、開催中のバーゲンセールでセカンドバックにしては少し大きめのバックを購入した。帰宅してから家人が大いに気に入ってくれてホッとした。男女共用だった。
更にベルトも購入。

今度の旅行のメインイベントまで時間が押し迫る。
昼食。回転寿司に飛び込んだ。千円弱だった。

偶然やってきたバスに飛び乗る。

大学に到着。

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そしてメインイベントに参加。

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情報交換会を終えてホテルへ。

しかし小腹が空いたので、お好み焼きを食べようと思った。できるまで20分くらいかかるとのことだったので、それまでの間、ビールとハイボールを飲んだ。つまみは冷や奴。これがうまい。豆腐とその上に乗っかった素揚げのじゃことのコンビネーションが抜群なのだ。

そしてホテルに帰った。

京都へ

2月22日秋田空港から大阪空港へ飛んだ。

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途中、日本アルプスが美しい姿を見せてくれた。

出発は、真冬のさなかということもあって、寒い午前発のダイヤを敬遠して午後一の便にした。
ところが今年は雪がない。例年なら防寒靴で出かけるところだが短靴で大丈夫だった。

大阪は曇り、京都も肌寒かった。

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3時過ぎに八条口に着いて、家人に頼まれた土産を購入した。
イノダのコーヒーの豆、辻利のほうじ茶、白雪ふきん。自分用にお香。源氏香に関心があるのだが、簡単には経験できないことを知った。そのイメージを表したという花散里というお香。帰宅して嗜んでみたい。

チェックイン。
昼を抜いたからかなり空腹。ホテルの和食堂に入ったら、予約で一杯とのことだった。
改めてベルキャプテンに近くの店を紹介してもらってそこへ行った。

ノドグロ、白エビ、刺身等。

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小腹が空いたので、ラーメンを食べた。
後悔した。ボリュームと高カロリー。さっきの店で寿司の三貫も食べれば良かったと思ったが後の祭り。

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後はおとなしく帰って夢路についたのであった。

町内会の役員

町内会の新役員がなかなか決まらない。

そのため、今年度は昨年までの役員が今年度一年との条件で継続することになった。
高齢化が着々と進み,やりてはいない。
様々な行事ももう手を余す。
町内自体が、青壮年期の頃は、若手も多く、それほど苦労はなかったはずだけど、今のように、平均年齢が70歳を超す(おそらく)ようになると、おいそれと引き受ける人はいない。

思い切って、イベントなどで切れる物は切って、身軽になり、誰もがそれほどの苦労なく実行できるようにしなければならない。

町内会長が急病に罹患し、副会長の私にお鉢が回ってきた。会長に事故ある時は云々(確かうんぬんと読むはず)という会則があるからだ。会長は回復したが、代理は引き続き私が行っている。

早速、このような改善を行った。
全世帯配布のチラシは、内容にもよるが、できるだけ各班一枚の回覧にした。それにより各班の世帯数ごとのチラシの枚数を数えなくてもいいようになった。赤い羽根は大変だった。こればかりは各世帯一本だから。
急を要する物以外は、回覧に付す日を月に二,三回にした。これは喜ばれた。一種類だけの回覧は非効率だ。足腰の不自由な人が増えて、隣まで自動車で行く人が出てきてもおかしくない情勢だ。

ある町内会では、会長が決まらなくてあみだくじで決めたという。
今のうちにスリムな体制にして誰もが輪番制で参加できる方向に持っていきたい。

先日、役員会があって、とうとう私が次期会長を引き受けることになった。
皆さんホッとした顔だったが、これで解決とはならない。
私の後を引き受ける人がいるか、それが問題だ。

かつて進駐軍が駐留していた頃、東京で指示した事項が翌日か翌々日には全国津々浦々まで浸透したという。これにおそれをなした進駐軍が直ぐに町内会の解散を命じたという。しかし、やはり不便だったから、かつての行政の下部機構のような町内会ではなく自主的自立的な組織を作り、区別するために「自治会」とか「町会」と名乗るようになったのだそうだ。秋田では、ほとんどが「町内会」だけど、北部の鹿角では「自治会」と呼んでいる。鉱山があって全国から人が集まったからかも知れない。

いずれ正式に会長に選出されたら折々その状況を報告していきたい。

まず、会長執務マニュアルを作る。
できるだけ仕事を分担する。

二年で止められるかな。

正月や

年末、子供たちや孫たちが帰ってきて、いつもの通りの年越しをした。

特別なおせち料理もなく松飾りもなかったが、誰も不自然に思わなかった。年末恒例の歌番組も誰が見たかわからない。
そうなのだ。正月がもう特別な行事ではなくなったのだ。

百貨店もスーパーも元日から開店し、初売りのときめきも興奮もなくなった。
昔は、大晦日に家族うちそろって特別の料理を食べ、子供達はお年玉をもらって、初売りで何を買うか、その日の来るのを待ちわびたものだった。

今は、去年と今年の境目がなくなり、なんとなく新年を迎え、三が日を終える。
昔と変わりないのは朝から酒が飲めることか。

初売りというのは、二日か三日だった。それが一部のスーパーが元日から営業を始めてそれにつられて大型小売店が右ならえをしたから、今では去年から今年が継ぎ目無くつながってしまった。だからけじめがない。

一番困ったのは、働く人たちだろう。特に非正規の人たち。
大晦日まで働いて、また元日から出勤する。それでも正規の人たちは年間何日という休日が保障されているからまだしも、非正規の人たちは元日(休日)出勤しても代替の休みがない。それでも初めの頃は、元日出勤に+アルファがあったらしいが今では通常の勤務と何ら変わらない扱いだ。弱い人たちにしわ寄せが行く。それはこの国では別に珍しいことではないけれど。

   正月は冥土の旅の一里塚
      めでたくもあり めでたくもなし
一休禅師の狂歌である。
これを中学二年か三年の時に理科の先生から教わった。
まじめな先生でとてもこのような狂歌を口ずさむ方とは思えなかったが、その時は何の弾みかぽろりと口からこぼれ出た。
私は、いたく感激して直ぐに憶えた。ませたガキだったのだな。
今はまさにその心境だ。心静かにその時を迎えられるだろうか。
こればかりはいくら棺桶に寝てみても練習ができない。

年賀状が二百枚を切った。
父は、元日に年賀状が配達された人でなければ翌年差し出さなかった。
私がそんなことをやったらたちまち百枚を切ってしまうだろう。
それでも、やはり三が日を過ぎると心配になってくる。
何か失礼なことがあったか。早めに電話してみるか。
   賀状うずたかし 彼の人よりは来ず
どなたの作か知らないがものすごい寂寥感が伝わってくる。

今年も一年なんとかがんばっていこう。
一年の計は毎年立てるけれど一度として三日ももたなかったから、無駄なことは止める。

年々、パソコンに向かうのがおっくうになりブログの更新もままならなくなった。そんな折、先日友人から電話が来て「更新されていないけれど、元気ですか」と。見てくれている人がいるんだなあと、背中を押される思いでこれを書いている。

今年もよろしくお願いいたします。

先ほど18時13分きぼうが見えた。
何かいいことがありそうな気がする。
皆さんにもお裾分けを。

写真は昨年年末の秋田駅前。

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のどぐろ 叫び すき焼き 3

12月2日

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いい天気だった。
朝食後早速、米沢市内の見学に出発。
最初の訪問地は米沢神社だ。
できれば直江兼続の愛の兜も見たいと思った。
まず、謙信公の墓に参拝。しかし。ここには葬られていないことがわかった。
愛の兜も公開期間が終わり希望は叶わなかった。

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御朱印を頂いて、上杉家廟所へ向かう。
ここで再び参拝。御朱印を頂く。

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昼食の時間になった。
米沢牛はつとに有名だ。
今年は結婚40年。
記念にと清水の舞台から飛び降りて、最高級の肉をすき焼きで食することにした。

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車はない。カネもない。去年のハワイを除けば海外旅行もしていない。
国内旅行は主に大人の休日倶楽部のパスだ。4日間で15,000円。
せめてものプチ贅沢。たまにはいいと思っている。

さて、帰り。
当初の予定では、米沢→大宮→(秋田新幹線こまち)→秋田だった。
ここで思わぬ誤算が生じた。
秋田行きのこまちがいずれも満席とのことだ。
秋田着23時過ぎなら取れるという。
そんなに遅い列車に乗るのは疲れを倍増させる。
ふと鈍行ならどうかと思った。
調べてみると、こまちよりも2時間早く秋田に着く。
米沢→(山形新幹線つばさ)→新庄→(鈍行)→秋田
これが大正解。奥羽本線の鈍行のスピードが予想していたよりも結構早いのだ。

無事秋田駅着。
これなら青春18切符も使えるなと思った。


のどぐろ 叫び すき焼き 2

12月1日 東京の朝

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早めにホテルを出て美術館が開館する前から並ぶつもりだった。
しかし、いつもののんびり癖が出て、東京都美術館に着いたのは、開館時刻から30分も経過した後の10時過ぎだった。
20分待ちとのことだったが意外に早く入場できた。

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私はシニアだから1000円で入場できる。
シニアの入場券を館の窓口で購入すると、特に止められることもなく、そのまま入場できるが,コンビニなど別の場所で購入すると、年齢を証明する物を提示するように求められる。私のように、館で購入した場合は窓口で証明書を見せているからもう一度チケットのもぎりで見せる必要は無い。以前、私の後から、入場した人が、証明書の提示を求められて、「さっきの人(私のこと)は見せなかったじゃないの」と言うと「あちらの方は当館でお求めになっているので見せて頂く必要はありません」と言われていた。そんなことを何気なく家内と話していたら、周りの数人がこちらをじっと見つめてきた。
その内の一人が、案の定提示を求められて、特に疑問を抱くともなく直ぐにバックから取り出していた。私の話を聞いて準備していたのだ。それならチケットと一緒に初めから見せたら良さそうなものだけど、いま一、私の話が信用できなかったのだろう。

閑話休題。
入館してみると、かなり混雑はしていたが、芋の子洗いと言うほどではない。一点一点を割としっかりと鑑賞できた。
以前もムンク展があってその時は叫びは来なかった。
http://blog.honyomi.jp/200710/article_20.html
既視感はたっぷりだ。教科書などで何度も何度も見たことのある作品だ。かなり強烈な色使いで、恐怖のその瞬間を切り取ったのだろう。恐怖の原因は何だろう。解説は聞いたけれどそれでも私には謎だった。

新潟県の物産展が開催中。
このような素敵な女性も。
写真の掲載には本人の承諾を得ております。転載転写は固くお断りいたします。

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昼食。
例によって公園近くのレストランでカツカレーを食した。

そして上野駅へ。
新幹線に飛び乗って仙台へ向かった。
降りてから会場まで向かう途中、凄い強風に煽られた。
校友大会実行委員会の〆の会議が開かれた。
終わって懇親会。二年近く北海道・東北の仲間達と準備し開催した大会は大成功に終わり、これまでの苦労をお互いにたたえ合った。

米沢へ向かう。
ホテルに入る前に,あまりの空腹に米沢名物の牛肉弁当を購入した。

のどぐろ・叫び・すき焼き 1

11月29日10時過ぎ秋田出発。

新潟着2時過ぎ。信越新幹線に乗り換えて燕三条で下車。
燕三条地場産業振興センターへ。

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爪切りを買った。
最近、指の力が衰えて来たので少しの力でよく切れる爪切りが欲しかった。
6千円超のものを購入。

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それと、折りたたみ式の小型のはさみも購入。

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亡くなった父が旅行に出る時は必ずはさみを持って歩いた。
薬の包装シートや菓子の袋などを切るのに必要だった。
私もそんな歳になった。

昔懐かしいねずみ取りなども展示されていて面白かった。

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新潟に来たら是非寄ってみたい所だ。

新潟市へ戻ってホテルのチェックインを済ませた後で、夕食会場へ向かう。
出る時雨がぽちぽち降っていたので傘を借りた。
これが大正解。タクシーを降りると大雨になっていた。
それでもピアBandaiを駆け足でめぐる。
新鮮な海の物や土産物などを売る市場もあって楽しめた。

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そして、弁慶へ。
まず、ノドグロの塩焼きと南蛮エビの刺身を注文。

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後は野となれ
寿司を心ゆくまで楽しんだ。

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11月30日。

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チェックアウトして旧斎藤家別邸へ。友人が紹介してくれた観光スポットだ。
紅葉が真っ盛り。秋田ではあまりきれいな紅葉が見られなかったので、ここで楽しむことができた。

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次は、新潟市歴史博物館みなとぴあへ。
新潟の歴史が知りたかった。当初は長岡の県立歴史博物館に行く予定だったが不便なのでここを選んだ。これがまた大正解だった。ビデオシアターやよく考えられた展示で楽しめた。次回はもう少し時間を取ってじっくりと見学したい。

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続いて駅へ。
ここで弁当を購入して、

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新幹線に乗車。
上野へ向かった。

この頃のこと

先週月曜日、急遽同級会が開催された。

これまでは、同期会の開催と同時に行っていた。
今回は、四国に嫁いだ女性が里帰りするというので、集まることになった。
参加者数10名。立派なものだ。

幹事夫妻が同級生で、会場の選定、ハガキの発送、会計といつも骨を折ってくれる。

会場は、土崎駅前の壱しんだった。
創作料理の店。
美味で素晴らしい料理だった。

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その他にも・・・・・・


14日は映画「マルクスとエンゲルス」を鑑賞。
若き日の両者の交流と共産党宣言の執筆までを描く。
エンタメではないけれど、そこそこ楽しめた。


私の咳はほぼ止んだが、家人は激しく咳き込むことがある。
皆さんもお気をつけください。

咳が止まらない

もう数えるのも嫌になるくらい咳が続いて止まらない。

先々週より続いていた風邪の症状がいっこうに良くならないので、先週の月曜日、クリニックに行ってきた。たいていの場合ここの薬を服用すると軽快する。

ところが今回は違った。
クシャミが出ると連続して何度も続き、胸骨が痛み、呼吸が一時止まるほどの激しい発作になる。更に咳が続き、こちらも暫く止まらない。
その内、家内にも移り、二人で夫婦対抗咳合戦のようになった。
家内の方は夜寝てからの方が激しい。本人は辛くて眠れないしこちらもしょっちゅう起こされるから寝不足になる。

そんな日々がもう十日も続いている。
さすがに昨日辺りから軽快の兆しが見えてきたけれど、やはり未だ苦しい。
今年の風邪は、咳が続く。
どうか皆さんお気をつけください。

松島から札幌・苫小牧へ

10月19日秋田を発ち仙台へ。

仙台駅に着くとこのフラッグが歓迎してくれた。主目的はこちら。

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観光バスに乗り松島を楽しんだ。
最初に松島を一望し、遊覧船に乗り瑞巌寺を参拝した。
松島は、高校時代に来たことがある。と言うことは,50年以上も前のことだ。
湾内に点在する小島が珍しい。
けれどもこの景色は,実は秋田県内にもある(正確には「あった。」)
象潟だ。芭蕉が訪れた頃は,松島と同じような風景だったそうだ。それが地震により海底が隆起して陸地になった。今でも田園の中に小島が点在し、当時の面影を偲ぶことができる。

ガイドさん(写真掲載は本人の御了解を得ております。転載、転写は固くお断りします)

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翌21日は、立命館大学校友大会2018in仙台。

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翌21日、仙台発新千歳へ。

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11時半から叔父の四九日の法要がしめやかにとり行われた。
続いて豪華な料理で会食。
故人や幼い頃の従弟たちなどの話題で盛り上がった。

一休みして、夕方、藻岩山に行った。
長蛇の列、様々な外国語が混じり合う。

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札幌駅で、夕食。
旭川ラーメン。

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22日は、旭山動物園行きの観光バス。
美瑛と富良野も。

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23日。

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札幌駅から快速エアポートで千歳へ。乗り換えて苫小牧へ。
昼食は名物のホッキカレーと海鮮丼。

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ウトナイ湖

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新千歳空港

秋田便は0番ゲートから搭乗。
隣は1B、「1Aはあるんですか?」と尋ねると無いとのこと。
ならば1Aを作ればいいじゃないかと思った。いくらなんでも0は無いよな。

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機上の人となった。
夕食は空弁のかにめし。

三四郎

やっと聴き終えた。

夏目漱石の作品に何度も挑戦するのだが、いつも途中でダウンしてしまう。
三四郎は、中学校に入学して直ぐ、学校の図書室にあった岩波の新書版を借りて読んだ。
しかし、それまでの講談社の少年少女世界文学全集のようにはすらすら読めなかった。最初の挫折である。その後何度も挑戦するのだが、一度として読了することができなかった。

そこで、最後にたどり着いたのが、アマゾンのAudibleだ。これは作品を読み上げてくれるサービスだ。
実は、梶井基次郎の檸檬も読めなくて結局このシステムで聴き終えた。その後でやはりこの作品は、活字の媒体では読み通せなかっただろうなと思った。
読みにくいものは耳で聴く。

そこで、三四郎を聴いた。聴いている途中、退屈で何度も眠たくなったが、何とか最後までたどり着いた。しかし、どんな小説なのか未だにわからない。
止せばいいのに、今はこころを聴いている。
これでも小説を読んだと言えるのか、はなはだ疑問だ。
やっぱり私にはそろばん侍シリーズが良く合う。
まああんまり無理しないことにしよう。どうせ”読ん”でも消化不良のままでは血肉になるまい。

札幌行

9月9日夜、叔父の逝去の知らせを受けて10日札幌に向かった。

新千歳空港に降りたって驚いた。
ターミナルが薄暗く人も少ない。これほど活気のない新千歳空港は初めてだった。
地下のJRの駅でも同じ。
いつもは外国人で賑わう駅もガランとしていて、快速エアポートの自由席に初めてゆっくり座ることができた。

札幌駅も同様、どこか寂しげだ。

ホテルにチェックインした後、東京に住む叔父達と合流して斎場へ行った。

亡くなった叔父が安置され、穏やかな寝顔に合掌した。

この日は仮通夜。
枕経が終わって、解散した。

夕食を摂ろうと向かった札幌駅のレストラン街は、どこも8時で閉店だった。

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やっと全国チェーンの居酒屋を見つけ、夕食。

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小腹が減ったのでカレーを食べてホテルに帰った。
途中、牛乳を飲みたくてコンビニに入ったら乳製品はまるで無し。食品の棚もがらりと空いていた。
清田区などの大きな被害を受けた地域を除けば、外見では、いつもと変わりのない大都市だが、一歩中に入ると被害の大きさがまざまざとわかった。


11日。
時間があったので、北大の構内に入り、ポプラ並木とイチョウ並木を見に行った。黄葉を期待したのだが未だ早かった。

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ここも、あちこちで倒木を処理した後が見られ、台風の凄まじさを目の当たりにした。

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昼食は、クラーク会館で定食。小鉢を加えた。

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午後2時から湯潅。
納棺。

お通夜の前に、受付で香典を手渡す。
すると式場の職員が、開封して中身を確認する。
また、希望すれば領収書ももらえる。

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北海道の葬儀に初めて参加した時は、この北海道方式に驚いたものだった。
しかし、中身を確認してもらえば、入れ忘れを防げるし、人から預かってきた香典も領収書を発行してもらえれば、かえって安心だ。
一言で言えば合理的。全国に普及してもいいと思う。

通夜はたくさんの花々に囲まれてしめやかに行われた。
故人の人となり、経歴なども式場の司会者が紹介してくれる。
なんと、それらは故人が生前きちんと作成していたという。まじめで誠実な故人の性格が表れていた。
喪主の挨拶は、司会者が代わりに読み上げてくれる。これも北海道方式の良い所だ。このような時に、挨拶文なんか考えていられない。代行してくれるのは喪主の負担を軽減することになる。私は、代理も含めて喪主挨拶を四度も行った。大変だった。結婚式の挨拶なら事前に原稿を作ることができるが、葬儀ではそれができない。

通夜振る舞い。豪華な料理だった。

多くの人が、雑魚寝。

私は、ホテルへ戻った。
途中コンビニに立ち寄ったが、やはり乳製品はなかった。


12日。本葬。
喪主挨拶は、司会者が「お礼の言葉をお預かりしております。」と言って読み、最後に「一礼をもちまして御挨拶に代えさせていただきます。」そして、喪主と遺族が一礼する。

終わって、荼毘。
秋田は、荼毘が先で、葬儀はその後だ。全国的にも珍しいようだ。

拾骨で驚いたのは、長さ30センチ、直径4センチくらいの先がとがった棒で、骨壺の中のお骨を粉砕することだ。こうして少しでも多く収骨するらしいのだが、以前は係員がやってくれていたのに、遺族にやらせるようになった。一番若い従弟がやってくれた。
同じ北海道でも、小樽では、骨壺を何度も何度も揺らしながら、粉状になったお骨も丁寧につめていく。係員がやってくれる。

再び斎場に戻り、法要を営み解散した。

久しぶりに大通公園に行った。
トウキビが食べたかった。

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この日やっと牛乳をゲットできた。

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夜は叔父達と会食した。
トンカツを食べた。
ふと、祖母が亡くなった時、葬儀には故人が参加してくれたことを思い出す。
当時の秋田は、精進料理。故人は私を誘って肉料理を食べに連れて行ってくれた。

その後少しぶらぶらしてみたが、やはり駅前は薄暗かった。

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13日、帰りの飛行機まで余裕があったので久しぶりに羊ヶ丘に行った。
途中、何本もの木が倒れチェーンソーで切断したように見えた。終点で、バスのドライバーに聞くと、イチョウの並木が台風で倒れたのだそうだ。
クラーク先生に会ったが、もう「青年よ大志を抱け」ではなく「少年老いやすく学成り難し」とおっしゃった。

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この日札幌は暑かった。半袖でもいいくらい。北の大地がこの頃、こんなに暑くてはいけないんじゃあるまいか。

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デパ地下で毛ガニを購入した。3000円という。「随分安いんでないかい」と言うと「脚が折れてるのさ」と言う。2杯で5千円にしてもらった。

新千歳空港は少し賑わいが戻ったようだった。

秋田に帰る。

太陽がいっぱい

50年以上も以前のこと、小樽の大國屋デパートのエスカレーターに乗っていてふと気が付くとその頃はやっていた太陽がいっぱいの甘く切ないメロディーが流れていた。

その頃私は小学6年生。大好きな叔父がそこへ連れてきてくれた。
札幌の円山公園では大きな亀の背中に乗せてくれて写真を撮ってくれた。
従兄弟たちもつれて蘭島か祝津かの海水浴場に連れて行ってくれた。
叔父が浪人時代のことだった。

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その後も北海道に行くと、いつでも家族をあげて大歓迎してくれた。
今年一月には、かにを食べたいという私の希望をいれて、かに三昧をごちそうしてくれた。

http://blog.honyomi.jp/201801/article_3.html

叔父の最初の記憶は、私が小学低学年で叔父が中学生の頃。
その頃私たちが暮らしていた秋田県の湯沢という町に小樽から遊びに来ていた。
着いて直ぐに近所の子供達の中に混じって一緒に遊び始めるのを見て、子どもながらにその社交性に驚いたものだった。

その夜、歓迎のために飼っていた鶏を1羽潰し、鶏のすき焼きを供した。
その時の赤い顔の中学生の顔がおそらく叔父を意識した最初だったと思う。

九月九日、その叔父が75歳で亡くなった。
私とは6歳の違いで兄のような存在だった。母の末弟だ。
山が大好きで、妻子をこよなく愛し、小さい子供達を可愛がりいとこたちから慕われていた。
豪快な笑い声と人なつっこい笑顔、メガネの奥の優しい目。

子どもの頃遊びに行った妹が叔父に託されてもらってきた本は”アンネの日記”だった。文庫でリバイバルする前の単行本だ。
叔父は「お前の兄貴は上品な本しか読まないからな」と。

長い闘病生活だった。
元気な姿を見たのは、五月のこと。
いくらかやつれて見えたが、それでも病室から食堂まで歩きみんなと会話を楽しんだ。そして繰り返したのはあの言葉。「今更じたばたしたって始まらない」。数年前になくなった直ぐ上の叔父と同じ言葉だった。その言葉を何度も何度も言った。

どうすればこのような心境になれるのだろう。
死を覚悟して運命を粛々と受け入れる。
妻子を残しての旅立ちはどれほど残念なことだったろう。

固い握手を交わして別れた。

http://blog.honyomi.jp/201405/article_4.html

抗がん治療でどんなに苦しい思いをしたか。鎮痛剤が効いてほとんど意識朦朧としていたそうだが、時折顔をしかめることがあったという。
それにしても一月に一緒に会食した時の元気な姿が忘れられない。


旅立ちの日、日は燦々と輝き
太陽がいっぱいだった。

雨降り

7日、県立博物館の博物館教室に向かった。

秋田駅から男鹿線のその列車は、初め蓄電した電気で走り、やがてディーゼルを起動して、充電しながら走行するタイプだ。発車するとディーゼルの騒音がなくエンジン音は静かだ。しかしレールの継ぎ目を走る時に出るガタンゴトンという騒音は相変わらずだ。おそらく外の人にとっては静かな列車だろうが、中の乗客にはあまりメリットが伝わらない。

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追分駅で家人からのメールを受け取った。
直ぐ電話をすると、秋田市から「大雨になりそうだから注意するように」と電話があったという。そんなことを言われてもどうすればいいのか。せっかく楽しみにしていた講義だ。できれば聞きたい。しかし、町内会長が急病になり私がその代理をすることになったばかりだ。帰宅しなければなるまい。講義はどうする。資料をもらってくることにしよう。タクシーを呼んで博物館往復と言った。

着いてその資料を見ると「秋田の中世(その2)」とある。(その1)も欲しい。聞いてみるともらえるという。両資料を携えて追分駅に戻り、暫く待って秋田駅行きの鈍行に乗った。しかし、こちらはディーゼル車。やはり騒音はハイブリッド車と比べものにならない。比較してみてその優位性を理解した。

市役所からの防災メールを見ると、避難場所は数キロ先の市民サービスセンターだ。そこまで避難するのは大変だ。高齢者も多い。担当の課と掛け合って近くの高校を指定してもらうことにした。

そんな情報を書き込んだチラシを作成し、15班全部の班長宅に配達した。

東京の従妹夫婦が遊びに来ている。
一緒に夕食を摂りたいが、今にも道路が冠水する状況だ。家の外に出ることができない。やむを得ず、翌日昼食を共にすることにした。

夕方になって、メールが着信。避難準備、高齢者避難開始が解除されたという。市役所からの電話は無し。
それなら在宅の必要は無い。再び従妹に連絡して夕食を共にすることにした。
もちろん楽しい夕食となった。ジュンサイやきりたんぽ鍋、しょっつるのお吸い物など秋田のうまい物が一杯。

我が家には無いもの

 マイカー

 カネ(金) 

 貯金 

 株(但し、うまい蕪漬けはある)

 金の延べ棒

 銀の簪 

 パール

 プラチナ

 ダイヤモンド

 ブランド物の洋服、靴、鞄

 サン〇イ新聞

 甲斐性のある亭主



唯一あるもの

 和やかな夕餉の一時

コールコーヒーとアイスコーヒー

面白い体験をした。

私は上洛すると良くコールコーヒーを注文する。

イノダのコーヒー本店では間違いなく通用する。
大丸のイノダでもわかってくれた。

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ところが、ある店で注文するとわざわざアイスコーヒーですねと聞いてきた。

イノダではない別の店で、アイスコーヒーを注文すると、持ってきた店員が、わざわざコールコーヒーですと言う。思わず笑ってしまった。

大学生の頃、と言うことは50年も前のことだけれど、京都ではコールコーヒー(Cold Cofeeではないかと思う)、東京はアイスコーヒーだった。

良く東京でコールコーヒーを注文して店員を戸惑わせたものだった。

皆さんも是非京都ではコールコーヒーを注文してください。
イノダのコーヒー本店では間違いなく通用します。

みやこ紀行4

6月3日。

帰秋する日。

錦小路を通り阪急電車の河原町駅まで歩く。暑い。

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飛行機の時間までたっぷり余裕があるので、これも源氏関連の多田神社へ行った。
電車を乗り換えバスで行ったのだが、秋田とは違って公共交通機関の便利がいい。
兵庫県川西市多田院多田所町、ここは源満仲を祭った神社だ。

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御朱印を頂戴した後で、昼食は直ぐそばの食堂へ入った。
関西なら蕎麦よりもうどんだろうと思い天ぷらうどんにした。
暑い盛り。
のどがからからだったので三ツ矢サイダーを注文。なんと発祥の地とのことだ。

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大阪空港までたどり着く。
土産類をここでも補充し、夕食用にくぎ煮と柿の葉寿司を購入した。
それでも時間があったのでラウンジで休憩する。

秋田空港に降り立つと、空気がひんやり。気持ちがいい。
秋田県人だなと思った。

みやこ紀行3

6月2日

この日もいい天気。

朝飯はイノダ三条店のモーニングにした。本店とはやはり違う。

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その後、京都文化博物館に向かった。お世話になっている人たちにお土産を購入。

そして、平安京創成館に向かった。
今回一番訪れてみたかった施設だ。
期待に違わぬ内容。次も来たいと思った。平安京の状況を知りたい人はここを是非訪れるべきだ。

朱雀大路は今の千本通りで、数倍の広さがあったこと。
大極殿は今の京都御苑よりもずっと西(千本丸太町)にあったこと。平安京の大極殿跡の発掘はおそらくできないだろう。実はこれを確認したかった。

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その後千本丸太町の大極殿跡へ。

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もうこれで満足。

その後今回のメインイベントへ。

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会議終了後、京都在住の同郷の方と三条河原町のカフェでしばし懇談。楽しかった。

そして、今度は姫虎三人と町家を改装したバーで夜の更けるのも忘れて痛飲したのであった。

みやこ紀行2

6月1日は朝からいい天気だった。

まず、腹ごしらえ。

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そして行動開始だ。

伏見へ行って十石船に乗ろうと思った。
まず京都駅へ。
バス案内所で路線名と停留所を聞いて、乗り込む。
ここでもやってしまった。

乗り過ごしてしまったのだ。
しかし大勢に影響はなかった。
無事乗り場へ到着。

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しかし猛烈な空腹感を覚えた。
食堂を探しながら歩くと、月桂冠が見えたので入ってみる。

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近くの食堂を聞き出して外に出てみるものの、あまり食べたい物がない。

再び月桂冠に戻り見学する。
土産も酒やらワインやら菓子やら。

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いよいよ十石船に乗船。
日が照りつけ猛烈に暑かったが、船が進むと気持ちのいい川風が吹いてきた。

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川旅を楽しんだ後、
このバイブルに記載のある伏見夢百衆。

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聞き酒とサムライロックを楽しむ。

ここでも買物。

寺田屋へ。
生憎、公開時間が終了していて見学はできなかった。
次回に持ち越し。

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京都市内に戻り、大丸へ。イノダのコーヒーでコールコーヒーを注文した。ちゃんと通じた。

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ホテルで一休み。

約束の烏丸室町に向かう。途中このような標識が。

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例によって妙齢の佳人と共に食事。

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このビールジョッキはおそらく一リットルくらい入る。
学生時代、京都国際ホテルでバイトしたビヤガーデンの大ジョッキもこのくらいではないか。
私は片手に5個、両手で10個持つことができた。
でも今では絶対無理だ。

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京都の夜は更けゆくのであった。

みやこ紀行

5月31日、京都へ。

大阪空港から京都駅八条口までリムジンバスを利用。
バス一日券と、地下鉄バス二日券を購入した。

直ぐ大学に行く予定だったが、案内所で聞いてみると意外と直ぐにそこに行けることがわかったので六孫王神社に行くことにした。

この神社は、源経基を祭神とする源氏ゆかりの神社だ。
秋田の久保田城の城主佐竹氏も源氏。
そういうこともあって行ってみた。

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続いて、大学へ。
昼食は大学のレストランでとった。
中華麺と野菜と錦糸卵のシンプルな冷やし中華だ。
減量中の私にはちょうどいい。

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小雨が降っている。
外での活動はやっかいだ。
室内なら・・・・・
そうだあそこへ行こう。

地下鉄東西線に乗って、気が付いたら浜大津だった。
私は、六地蔵へ行くはずだった。
御陵まで戻って再び東西線に乗って、六地蔵へ。
ここから京阪の六地蔵まで歩き、電車に乗って宇治へ。

目的はここだ。

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実は源氏香の花散里を体験してみたかった。
生憎それを聞く体験はできなかった。
花散る香は佐竹氏の替え紋。

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そして平等院へ。
高校の修学旅行以来だ。
鳳凰堂は、その頃よりも華やかな色彩が施されていた。
修学旅行生が十円玉と鳳凰堂を一緒に写していたが、どちらか一方に焦点が合ってしまいうまくとれないとぼやいていた。

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宿にチェックイン。小雨がだんだん激しくなりやがて雷も付いてきた。
近くの小料理屋を聞いて行く。
歯の治療中なので豆腐料理がいい。

豆乳仕立ての湯豆腐。

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鰹のたたきには思い出がある。
生まれて初めてそれを食べたのが京都なのだ。

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雨の中を宿に帰り轟沈した。

結婚記念日

昨日は40回目の結婚記念日だった。

その日の朝、札幌の町にいた。
朝ご飯。

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11時過ぎにホテルを出て大通公園へ。
ライラックが咲いていた。

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トウキビの店も出ていたが、昨年の物とのこと。

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続いて北大へ。
ポプラ並木が見たかった。
中学校二年の時、修学旅行は北海道だった。一学年600人を超える学年だったから、修学旅行専用列車を使ったはずだ。
青函連絡船は貨客便。操舵室の見学もできた。

一番印象に残っているのは北大のポプラ並木だった。それをもう一度見たかった。これまで何度も行ったけれど、時季はずれであの頃の並木は見られなかった。
しかし、今回やっと見ることができた。

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でも何か違う。あの頃の並木はもっと美しかった。
平成のポプラ並木があるという。
もうへとへとだったが、気を取り直してそこへ行った。
ああ、これだ。あの頃見たポプラ並木。

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珍しい植物を見た。薬学部の薬草園。

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札幌駅に戻る。
ここから新千歳空港へ。
秋田便は、再び新千歳へ戻るか、着陸地を仙台空港に変更するかの条件が付いての運航だった。
せっかくの記念日だから毛ガニを買って女房と祝いたかったが、これでは買って行くことができない。諦めて機上の人となったが、無事秋田空港に着陸。ああ、毛ガニ!!

あと10年生きてやる!!!その時は金婚式だ。女房に金(粉)を贈ることにしよう。

そしてぐっすりと眠るのであった。

札幌紀行

そもそも朝からおかしかった。

秋田空港行きのリムジンバスの停留所に向かう途中、はっと気が付いた。財布と手帳がない。準備していた背広が窮屈だったので出がけに背広を着替えた。その前の上着に残したままだった。
自宅に引き返したが、バスには間に合わない。タクシーで6千円弱の出費。

新千歳空港で札幌ラーメンを食べる。いいスープと麺だった。私にはもう少ししょっぱい方がいいけれど、でもこの塩分は万人向きなのだろう。

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店員が「紙エプロンを使いますか」と聞いてきた。早速もらった。私はスープやソースを散らかすのが得意。今回もエプロンにはスープの筋がスーッと付いていた。

新千歳から新札幌まで快速エアポートに乗った。
その列車内検札のスタンプ。可愛いので写真を撮った。

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札幌の叔父が入院している。子どもの頃から世話になった人なので、この時とばかり激励に向かった。
もともと体を鍛えていたからか、意外なほど元気で、一安心する。
病に負けずにまた絶対に回復して欲しい。

病院から従弟たちがホテルまで車で送ってくれた。

チェックイン。
学生時代の友人を呼び出して居酒屋にでも行こうと思ったが雨が降ったり止んだりの天気でその気も失せた。
ホテルの近場で一人飲みすることにした。

色々注文した物の一つ、骨付きラムの炭火焼き。

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やっぱりクセがある。
若い頃は札幌ビヤガーデンで、生ビールと冷凍の輪切りにしたラム肉を腹一杯食べたものだけれど、歳をとるに従って、そのクセが気になりだした。生ならいいかと思って、以前、私のリクエストで叔父夫妻やいとこたちにごちそうになったけれど、やはり少し気になった。
今回、この肉を食べてみて、もうラムは食べられなくなったと思った。なんとも悲しいことだ。それだけうまい物の選択肢が狭まる。

小腹が空いたので大衆的な寿司屋をフロントで紹介してもらって行ってきた。
リーズナブル。

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珍しいヤングコーンの握り。

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そう言えば小樽出身の母が、握りのことを“生寿司”と言っていた。
まだ北海道ではその言葉が生きていた。

おとなしくホテルへ引き返し、バーにも行かず〆パフェも食べず静かに眠りについた。

その後の後縦靱帯骨化症

出会う人に手術後の経過を良く聞かれる。

「あまり良くないです。」「その状態が常態化しています。術前に良くて現状維持といわれていたのでそれほどのショックはありません。」と答えている。

右の掌の痺れは改善していないし、重いものを持ったり背負ったりした時には、首から下に重い圧力がかかるようになった。私は鞄の袈裟懸けが好きなのだが、あまり重い物を詰め込むのは止めることにした。

右足のもつれはやや改善したような気がする。毎日、両足にそれぞれ1キロの錘を装着して脚の上げ下ろしをしているから、筋肉が多少は鍛えられたのかも知れない。しかし、階段や坂の上り下りは辛い。バスの乗降時や階段は手すりに頼るようになった。新築した時、玄関、トイレ、階段に手すりを取り付けて本当に良かったと思う。

周りを見渡せば、脳などの病気で半身麻痺した人や車いすの生活を余儀なくされた人もいる。まだ、私は麻痺はないし自分の足で歩けるから御の字と思わなければならない。

多くの方が、この記事を読んでくださっている。↓

http://blog.honyomi.jp/201708/article_1.html
http://blog.honyomi.jp/201708/article_2.html

その人達のためにもこれから経過を綴っていきたい。
手術はやって良かったと思っている。何よりも大きな安心感が得られた。

ヌードと土嚢と花々と

半年ほど前から顎髭を伸ばしていたが、遂にそり落とした。

新聞で髪の毛が薄くなってきたら、髪を短めに揃え、顎髭を生やした方が良いという記事を読んだからだ。
少し髭が伸びてきたので、床屋にその記事を持っていくと、うまく整えてくれた。
髭の方に視線が向かって頭から注意がそらされるみたいなのだ。
それにもだんだん飽きてきて、先日きれいさっぱりと切ってしまった。
すると、何だか下着を脱いで人前で裸をさらしているような妙な気分になった。
髭は心理的に着衣の効果をもったものだろうか。
それにしても珍しい経験をした。

今日は天気も良かったので、帰省中の息子に土嚢を作ってもらった。
昨年7月、大雨の影響であわや床下浸水というところまでいった。

http://blog.honyomi.jp/201708/article_2.html

これはもう常日頃土嚢でも用意していざという時のために備えておかねばならないと思った。
土と袋はアマゾンで購入。自宅まで土を運んでもらったから助かった。土嚢用の土があるかわからないが、野菜作り、花栽培用の土にした。
まず、土の入った袋の上部を切り取り、土嚢袋を上からかぶせる。そしてひっくり返して土の入った袋の底を持って引き抜いて土を土嚢袋に移し、紐を結ぶ。これだけのことだけど、昨年、後縦靱帯骨化症の手術をした後で、二袋作ってみたが、腰や背中が痛くなって止めていた。さすが息子は早い。あっという間に10個を超える土嚢を作ってくれた。これで一安心だ。

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桜も散り始め、我が秋田もはや初夏の気分。
我が家の花と先日撮影した千秋公園の桜を御紹介。

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認知症の神

世の中には、貧乏神、死神がいるからきっと認知症の神もいるに違いない。

と言うのも、この頃どうもその神に憑かれたような気がするのだ。
物忘れ、ついさっきのことが思い出せない、これから何をするか思い浮かばない、読書の意欲が湧かない、ブログ更新を怠る。そんな時、うっすらと認知症神が現れてニヤリとする。

しかしながら、飲み食いの欲は健在。今のところ、食べたこと飲んだことを忘れることはない。これを忘れるようになると、いよいよ神がぴったりと取り憑いたことになるんだろうな。

まあ、その時はその時。今から心配しても始まらないか。

昨日は誕生日

昨日は69歳の誕生日だった。

お祝いに寿司をとる。

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今日帰ってしまった孫はレイを作ってくれた。
「じぃじ 69さいのおたんじょう日おめでとう!」と書いたカードをぶら下げて。
誕生日プレゼントは自分で買った。暫くぶりにネクタイを。

69歳といえば古稀。
昔この年齢まで生きるのは大変だったんだな。
今と比べれば、楽しいことも少なかっただろうが、その代わり苦しいこと、辛いことも少なかった。
短い生涯を精一杯生ききった。それなりに充実した人生だったのではないか。

さて、我が行く末。
右肩の骨が痛い。痺れはこれまでは右の掌だけだったが、最近は時々だけれど、右の肘から下も痺れるようになった。右肩が高く上げられない。網棚の荷物の上げ下ろしが難しくなった。バスの降車ボタンを押すのにも苦労する。

身長が縮んだ。重い荷物を持つと背骨が上から圧迫されるような感じになって、疲れる。これまでの生き様のバチがあたったのだろうか。だとするとこれは受け入れるしかない。

東京紀行2

3月2日この日もいい天気だった。

朝ご飯は、メインディッシュが4種類、一つを選択することになっている。
スクランブルエッグ ベーコン。後はサラダバーとドリンクバー、副食など。

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朝食もそこそこに、電車に乗る。
行き先は、柴又だ。

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帝釈天の参道を歩き、例のお寺に向かう。

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御朱印を頂き、誰もが知っている川に向かう。
矢切の渡しを遠くから眺め、

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寅さん記念館へ。

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とらやのセットが完全復元、帝釈人車鉄道という人が押して動く珍しい鉄道の客車も展示されていた。最後は寅さんと記念撮影。どのような仕掛けになっているのかわからないが、前面のスクリーンに写る寅さんととらやのセットを見ながら写真を撮ると二人肩を並べた写真ができあがる。いい記念になった。

続いて山田洋次ミュージアムを見て、参道にあるとらやで草団子を食べた。

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さて、前日に引き続いて上野へ。
女房が寛永寺で御朱印帳を落としてきたのだ。
落とし物を受け取って、昼食は国際こども図書館のカフェで食べた。
ここはいい。何よりも安い。上野に来たらここで昼食をとることにしたい。
東京芸術大学も近いからそこの食堂もいいかもしれない。

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黒田記念館へ。花野などを鑑賞。あいにく湖畔は開放されていなかった。

再び前日スカイツリーに向かったバスで浅草へ行く。

まず浅草演芸ホール。
演し物を見るとほとんど知らない芸人さんばかりだ。迷ったが他に選択肢もないので入った。しかしこれが大成功。さすがはプロだ。なじみはないけれどたっぷり喜ばせてくれる。マジックは私も知っているロープマジックがあった。昼の部の終わりのあたりに入って夜の部の中入りで出た。

夕食は洋食のヨシカミだ。一度来てみたかった。
幸い席が空いていて直ぐに着席できた。
ビーフシチュー。肉がたっぷり、ソースも旨い。

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帰りが大変だった。駅までかなり歩く。途中、神谷バーで電気ブランを購入する。

良い一日でございました。


3月3日

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この日は、目玉焼きとローストビーフ。

今回の旅行の主たる目的、法事に参加。

終了後新宿で会食する。

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お開きの後、息子の家で再び会食。
泊めてもらう。


3月4日。
以前から行きたかった園の入口で止まるバスで横浜の三渓園へ向かう。
素晴らしい庭園だった。
梅が満開、例年よりも開花が遅れているらしい。

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横浜からは羽田までバスを利用した。
このコースは素晴らしい。
海にははしけが浮かび近代的な橋と好対照をなす。

空港で回転寿司を食べ、秋田へ帰った。
歩道の雪はだいぶ溶けており、短靴でも支障が無かった。

そして旅は終わった。



東京紀行

3月1日上京。

当初は、飛行機を利用する予定だったが、東京が荒れるとの予報で急遽秋田新幹線に変更した。
結局、杞憂であった。

上野に着くといい天気。
早速公園入口の休憩所でカレーライスを食べた。以前、ここで食べて次回からはここにしようと決めていた。

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都立美術館に向かっていると、プラカードが目に入った。動物園のパンダを見るための予約券を配布しているとのことだ。
直ぐに動物園に向かう。シルバーは割引の入場券を購入できる。
15時10分の予約券をもらえた。

予定どおりブリューゲル展へ。
初代やら孫やらブリューゲルは何人もいて戸惑った。見慣れた朱色を多用した農村の風景。効果的な配色で絵が明るくなる。たっぷり楽しんで外へ出る。

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未だ、予約時間までは間があるから、寛永寺に向かった。
ここで御朱印を頂く。もう少し大きな寺を想像していたのだが、幕末の戊辰戦争で焼け場所が変わったとのことだ。

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いい時間になったので動物園に向かった。
黒山の人だかりだった。
並んでいると程なく順番が来て御対面。
30秒くらいずつ3回に渡って立ち止まり、追い立てられるようにしてあっけなくパンダ舎から出た。
可愛いけれどちゃんと向き合ってくれない。

続いて、公園から出ているバスに乗ってスカイツリーに向かった。
このバスは凄くいい。乗り換えはないし、周りの景色がよく見えるから退屈しない。地下鉄よりはずっといいと思った。

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いったん350メートルで乗り換えて最上階の445メートルのフロア445へ上がった。
エレベーターは速くてほとんど揺れず、乗り心地もいい。
実は、ニューヨークの摩天楼や大阪のあべのハルカスも経験があるが、あまり感激しなかった。ここも同じ。何故か。風景が飛行機の上昇下降の時に目の下に広がるそれと同じだから。かえって低いけれど札幌のテレビ塔やJRタワーからの眺めの方が面白い。
一番面白かったのは、ガラス床の上から見下ろす鉄骨と地上の様子だった。たいていの人は怖がってガラスに上がるのをためらっていたが、怖いもの知らずのオイラはおそるおそる歩みを進めてガラスの真ん中でしっかりと立った。

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帰りは、京成で船橋まで行き、チェックインの後夕食に行った。ハゲ天で天ぷらを食し初日が終わった。

京都紀行

2月23日大阪空港に降り立つと、燦々と太陽が降り注いでいた。

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モノレールにするか、バスにするかちょっと迷ったが後者に決めた。歩く距離とアップダウンが少ないのだ。

京都駅八条口に向かうバスに乗っていると、気持ちがどんどん晴れやかになっていく。
窓の外の明るい日ざしを眺めていると、秋田のどんよりした空が嘘のように思われてくる。出てくる前は、モチベーションが上がらず京都に着いたら、まっ、適当にぶらぶらして早めにホテルに潜れ込もうと思っていたが、だんだんやる気が出てきて今日も好奇心一杯がんばるぞと思った。

八条口に着くと、これまでの場所と違う。「変わったんですか」と問うと2,3年くらいなるという。これまで阪急の利用が多かった。それにしてもそんなに利用していなかったかと思った。

予定どおり、バスで法然院に向かう。
かつての市電の車庫があった錦林車庫で降りて歩く。結構な距離だ。哲学の小道(今は哲学の道と言うようだ)を渡り、総門の前に立つと既視感にとらわれた。

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やがて、ここは数回来ている場所だと気が付いた。
御朱印を頂く折に尋ねると案の定谷崎潤一郎の墓があった。今回初めて河上肇夫妻の墓も発見。著名人が多く眠っている。

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次は、国立近代美術館。
バス停まで向かう途中、よさげな食堂を発見する。品書きを見ると、おお、あの他人丼があるではないか。しかもうどんも。
直ぐに飛び込んで丼を頼むと小ぶりの丼に入ったうどんも付くという。
懐かしさから涙が落ちそうになった。

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何十年ぶりだろうか。
入学で上洛して下宿の近くの食堂でこれを見た時は何だろうと思った。
親子丼なら聞いたことも食べたこともあるが、他人丼とは。やがて鶏卵の親は鶏だが、そうでない動物の肉を使うから他人丼とわかった。よく考えたものだ。
実に旨かった。牛肉は柔らかく、くせもない。卵はふわふわ。加えて味付けが濃いと来ている。京都だからもっとソフトな塩加減と思ったのだが、どっこい秋田県人がもっとも好む少ししょっぱめの味だった。うどんは、けつねうろん。こちらもしょっぱめだった。

バスに乗り、岡崎公園へ。
近代美術館に入ったが凄い人だった。
京都の美術館はこれまで何度も入ったことがあるが、これほどの人は珍しい。浮世絵はすっ飛ばしゴッホだけを見た。企画した人は、ゴッホと浮世絵を両方見るように展示したものだろう。そうすることでゴッホがより引き立つ。ごめんなさい、私のような素人の横着者はこんな鑑賞をしてしまう。

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バスは、河原町三条で降りた。
鳩居堂で自宅用に匂い袋を購入した。
ホテルに向かう途中ギャラリー遊形で俵屋旅館の石鹸を購入。ちょっとした感謝の印にプレゼントするのにちょうどいいのだ。

チェックインして、暫く休む。
そして午後5時、活動開始。
まず、友人に魚の西京漬けを送る。

高島屋で妙齢の佳人と待ち合わせ。
その後夕食会場へ。

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創作料理の店。
珍しい料理の数々。どれも美味。酒も進む。

ホテルに戻る途中もう一軒、立ち飲みでしめた。


2月24日。

しっかりと朝食を摂る。

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とりあえず北野天満宮へ。
烏丸通りでバスを待っていたがそもそもどこの停留所で待てばいいのかわからない。しかも地下鉄烏丸線が走っているから、地上の公共交通の本数は少ない。
タクシーに乗った。

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残念なことに梅は三分咲きだった。

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大学の会議に出席する。

終了後懇親会二つ。

宿に向かう途中、〆のラーメンを食べた。翌日体重増加。

2月25日。

イノダ四条支店でビフカツサンドを食す。ビフカツは秋田では食べられない。コーヒーは、ここの定番ミルク砂糖入りを頼む。

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阪急とモノレールを乗り継いで伊丹へ。
秋田へ帰った。

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