感染症

昨年6月に感染し、ほぼ半年近く入院した友人と久しぶりに電話で話をした。
今も感染症のせいか体の具合が悪く寝たり起きたりの生活だという。一昨年パートナーを亡くし、家事は自分一人でこなしている。
絶対にかかっちゃいけないと強い忠告。
人だかりや密を避け、少し神経質かなと思っていたところだったので、この言葉はかなりの説得力がある。

誕生日

今日は73歳の誕生日。
記念に町に行ってくると言ったら、何しに、と聞かれた。考えてみれば昨日ささやかなバースデイケーキ(いちごショート)を買ってきたし、プレゼントに和田秀樹著「80歳の壁」をダウンロードしたし、1400円当たった宝くじを換金してきたし、さし当たりやることがない。それに秋田県の新規感染者は昨日過去最大となった。なるべく人混みを避けた方が無難だ。出かけるのを止めた。

午後は小学校と交番の回覧チラシを配達に行ってきた。町内会長の重要な任務なのだ。夜はこれからエビと豚肉の天ぷらだと言うし、後は甲類の焼酎があれば良い。ほろ酔いで、子ども頃良く歌った”誕生でも歌えば夜は更け行くのである。
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春が来たぞ

秋田にも春が来た。
桜の開花は例年よりも早い。
今あちこちの桜の名所は満開のようだ。
しかしこのご時世おいそれと出かけるわけに行かない。



我が家の坪庭も百花繚乱(?)
頼りなげで細い雑草は実はニラだ。おひたしにするとやわらくておいしい。
京都でレバニラを初めて食べた時、ニラの幅広の葉の大きさにびっくりしたものだった。


木の芽の芽吹きは、もう少しかな。



祥月命日

昨日3月7日は父の祥月命日だった。

父が大好きだった清酒高清水と晩年毎日のように食べていた湯豆腐で父を偲んだ。これにしょうゆの実があれば万全なのだけれど、こちらは諦めた。
とっくりに酒を詰め、カンカンに湧かしたやかんのお湯の中に暫くそれを入れておいた。熱燗のできあがり。これに湯豆腐とナッツで飲んだ。日本酒はほとんど飲むことがないから、とっくりの勝手がわからない。5合入りの高清水の紙パックが随分軽くなったから、3合入りのとっくりだったことに気づいたが後の祭り。たっぷりと堪能してソファーの上で爆睡した。これも父と同じ。
酒飲みにはこだわりがあった。ある時理科の実験で使うフラスコを買ってきたことがある。電熱器にかけて熱燗を湧かすためだそうだ。薬局に行くと同じ理由で買っていく人がたまにいると言われたそうだ。
あれから18年。あまり認知症が進まないうちにそちらに行きたい。

プレミアム宿泊券

秋田県のプレミアム宿泊券の有効期限が近づいたのに利用が芳しくないため、飲食券としても使えるようになった。
条件は宿泊施設に泊まらず施設のレストランや食堂で利用すること。

2月18日、秋田キャッスルホテルの中華料理店東天紅。
昼食を家内と二人でとりに行くことにして予約した。
これが大正解。多くの人が並んでいた。

宿泊券を一枚使用。残りはプレミアム飲食券。



次は、2月20日、予約が取れなかったのでビーフシチューを持ち帰った。
これも宿泊券一枚使用。残りはカード払い。


そして2月28日、やっと車屋の予約が取れた。
すき焼きのコース。宿泊券三枚。



ほかにも、26日は飲食券を使って大昌園で焼肉ランチ。


随分贅沢した。

この他宿泊券として利用したのが2回。この時はGO TO トラベルも使った。

この先こんな飲食はできないだろう。

それにしても、宿泊券も飲食券ももとはと言えば税金だ。
宿泊券は2500で5000円分。2500円が税金。
飲食券は700円で1000円。秋田市に至っては500円で1000円だ。
宿泊飲食業は少しはうるおったかもしれない。
さんざん利用したあげくこんなことを言うのも何だけれど、プレミアム宿泊券飲食券て何だ。

惚けが確実に進行中。
まだ楽しめる内に楽しんでおこうか。

雪明かり

バリバリと氷を砕く音で目が覚めた。
新聞配達の車だなと思った。
道路は日中雪が融けて、昨夜から、残った雪と融け出た水が再び凍り、起伏の激しい路面になっている。
今は新聞配達も車だ。少年たちが自転車で配達したことなどもう昔語りだ。

そう言えば郵便配達もバイクになった。
正月名物の高校生アルバイトたちが颯爽と自転車にまたがり、年賀状の配達出発式を行ったのも今は遠い昔。

雪の時は、路面すれすれに両足を垂らしバイクが転倒しそうな時に備えながら器用に運転している。
何年か前に関東で大雪が降った時、郵便局員がバイクの脇に立ち不安そうに眺めていたことを思い出す。
雪国から雪上運転の方法を教えに行ったらいいのにと思ったものだ。

夜、寝室で寝ていて点灯もしていないのに、部屋の中がぼんやりと明るいことに気づく。
ああ雪明かりだなと。
この頃たまにある雪の降らない年は、暗い。
雪明かりという言葉が自然現象と一致してそれと認識したのは、それほど昔のことではない。
畑の中の細い道を歩いていて、周りがよく見える。しかもかなり遠くまで明るい。
その時になってやっと気が付いた。ああこれが雪明かりかと。
雪国に暮らして数十年、毎年毎年その場面に遭遇してきたのに、何とも思わなかった。

私は頭が悪いのか鈍感なのか、たぶん両方だと思うが、こんな経験がしょっちゅうある。
歳をとったものよのう!

あの頃は

小学校低学年の頃、豪雪地帯の湯沢市に住んでいた。
例年この頃になると、学校のスキー遊びがあって、村の鎮守の神様の八幡神社に行った。
ここの階段は急傾斜で十段くらい上がると踊り場がある。結局何百段か何十段あったかわからない。

ある年のこと、明日はスキー遊びがあるという日の帰り際に、先生が「背中に手拭いを入れて来いよ」と言われた。
だからその日は全員手拭いを背負ってきた。
さて、スキー遊び。
たいていの子どもは普段から八幡様で遊んでいるから実にすいすいと滑降する。
私はと言うと運動音痴。
階段の最初の踊り場から降りるのがやっとだった。
しかし、降りるのはいいが止まり方を知らない。後数メートルで雑木林に突っ込むという時、ごろりと転んで倒れた。
心臓は高鳴り頬は紅潮した。みんなに笑われるのではないかと辺りを見渡したが、誰一人注目している子はいなかった。

さて、それから暫くすると、全員集められた。
「手拭い引張れぇ!」と先生。
全員が背中の手拭いを引っこ抜いた。
あちこちで「うわっ 気持ちいい」と大歓声が上がった。
私もやってみたが何が気持ちいいのかわからなかった。

ずっと後になって、汗を吸って気持ち悪かった手拭いにかわって乾いたシャツがあらわれて、気持ちが良かったのだと気が付いた。

私はと言うと、たいした運動をしていないから汗をかかない。手拭いは関係なかったというわけだ。

こんな子どもの頃の思い出が、この頃やたらと思い出される。




雪害

今日も我が家の近くを通るバス路線は運休。

昨日も運休だったので家人の通院に乗じてタクシーに乗った。道路は渋滞に次ぐ渋滞で普通なら10分くらいのコースを一時間近くもかけて走った。

ドライバーが教えてくれた。雪が茶色いのは融雪剤のせいとのことだった。雪が少なければ融けるが多いとぐちゃぐちゃになる。車は滑る。人は足を取られて歩きにくい。
幹線道路は、だいぶ除雪が進んだが、住宅地の生活道路は手つかずのままだった。かつては、業者が決まっていて一定の状況になると直ぐに来てくれたものだったが、今はしばらく来ない。




市街地は歩道の除雪も進んでいた。


マンホールの蓋の上は融雪が早い。下水がどれだけ温かいかわかる。


帰りは、バス停から家まで15分くらい歩く路線のバスに乗った。

今日もバス路線は完全に復旧していない。


雪が降ります

雪がやっと小康状態になった。
豪雪は何日続いただろうか。

連日の雪かきでへとへとになったがやっと一休みできる。

7日夜、奇妙な停電があった。
突然、停電したかと思うと30秒くらい後には点灯、それが数十回も繰り返された。
今、家の中はほとんどが電化製品だ。
照明器具はもとより、暖房器具、固定電話、ボイラーなどが止まっては入り、止まっては入りの繰り返しだ。
その都度、器具の内蔵時計の時刻合わせを行い今度こそと思うと、裏切られる。その繰り返し。
そしてやっと少し長い間点灯したのでこの機会にとさっさと布団に入った。
3.11のことを思い出した。あの時も停電で、ストーブ、ボイラーが止まり急遽反射式ストーブを持ち出して焚いた。しかし今回はその準備ができていない。ストーブを持ち出しても灯油を200リットル入りのタンクから給油するのが難しい。

8日朝、秋田市の緊急告知ラジオの放送で目が覚めた。
市内で大規模な停電が発生しているという。市民サービスセンターを開放するので、暖を取れない人は避難して欲しいという。
おそるおそるエアコンをつけてみると青いランプが点いた。
しかし、夜の間に停電し、また通電したらしい。
内蔵時計が止まっていた。
その後、午前中は自宅と道路の雪かき。続いて両親宅の小屋の雪下ろし。
へとへとに疲れた。

9日、朝起きると30センチの降雪。
自宅はともかく、道路の除雪は自助を超えている。排雪しなければ流雪溝が整備されていないから捨てることができない。
両親宅の小屋の雪下ろしをしておいて良かった。
午後マジックの集まりがあったが欠席した。
この日から二日間市内の全路線バスが止まったということを後になって知った。

10日、やっと小康状態になった。
とりあえず自宅と道路を除雪。
両親宅で再び小屋の雪下ろし。門から小屋まで歩くと50センチの長靴がすっぽり埋まるくらいの積雪だった。
近所のスーパーまで買物に行くと道路が荒れて、しかも下のアイスバーンが所々顔をのぞかせているから滑って転倒する危険がある。人も車もおそるおそる進む。命がけだ。


11日、今日は少し晴れ間がのぞいた。
しかし、雪かきに出る元気が出ない。町内どこも同じ。市役所の除排雪対策本部のコールセンターに電話。我が町内は今シーズンまだ一度も除雪してもらっていないから休み明けの明日の混乱を避けるためにも、今日中の除排雪を依頼したが、さてどうなることやら。今日から三日間全市対象の除排雪を行うという。それまでは幹線道路が対象だったらしい。どうせなら3連休中に行った方が良かったのではないかと思ったが、言うのを止めた。コールセンターは市から委託を受けた民間の会社。オペレーターは朝から何度も市民の感情的な物言いの電話を受け取っているだろう。俺も大人になったなあと思った。

今日も我が家の近くのバス路線は運休。明日も難しいだろう。

日本海側と太平洋側

コロナは気温と湿度が低い冬に流行するそうだ。

ふと

冬はどこも気温が下がるけど、湿度は全国的に下がるわけではない、と思った。

秋田を含む東北の日本海側、北海道、北陸、山陰など。

日本海側の各地にたっぷりと湿気を落として太平洋側に空っ風となって乾燥をもたらす。

全国どこも同じではない。

人口の多い太平洋側の目で見るとこうなる。

室内は、寒冷地もがんがん暖めるから乾燥するけれど、外はそうではない。

謹賀新年

目覚めるとあまり積雪もなく穏やかな新年と思いましたが、午後になって吹雪きになりました。
秋田市内でこの状況と言うことは、NHKニュースで紹介される横手などは大変な状況でしょう。
側溝が流雪溝になっていてそこに雪を放り込むのですが、これが大変な重労働。住民の高齢化も進み雪との戦いは果てしない闘争です。
毎年多くの死傷者が出ています。どうぞご無事で春の到来を迎えてもらいたいと思います。

おっと
今夜はすき焼き
鍋奉行の私を呼んでいます。
本日これまで。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末の御挨拶

今年一年お世話になりました。

皆様良いお年をお迎えください。

コロナの早期終息を心から願います。


一万円(税別)のおせちです。


実は実質6800円で求めました。

チケットショップでホテルの1000円の飲食券を600円で販売していたのです。

子供たちも孫たちもいない寂しい大晦日です。



来年こそは賑やかに新年を迎えたいものです。

メルカリ

メルカリに出品した本が売れている。
しかも古本屋の買い取りとは比較にならないくらいの価格でも買い手が付く。
止められません。


しかし、失敗もある。
純益を超える送料がかかり、もうけが全くなくなったり、完璧と思って出品したのにマーキングがあったり、別の品物を送ってしまったり。それもこれも勉強だと思って”商売”を続けている。
実を言うと早くも売れそうな本の在庫がなくなってきた。いざ出品するとなるといつかは読むかも知れないと思って止めてみたり、手放すのが惜しくなったり、商品の確保が難しくなってきたのだ。
蓄えも少なくなってきたし自由になる小遣いも少ない。思い切ってドンと出品してさばさばしようか。毎日、本とにらめっこしている。

休肝日

朝から何だか大きな忘れ物をしたようで気になる。

そうだ新聞が休みなのだ。
秋田は今はどの新聞も夕刊がなく、日刊だけだ。だから文字通り休刊日なのだ。

かつては、地方紙が夕刊を発行していたが止めてからだいぶなる。もっともその当時でも夕刊を翌日の朝刊と一緒に配達していた地域があったらしい。
やっぱし、新聞が来ないのはとじぇない。
休刊日発行新聞なんてできないだろうか。

あっ
昨日に引き続き今日も休肝日です。
酒を休むなら二日は続けないと駄目だよと言われたので。

身に余る光栄

11月6日、某大臣の表彰状の伝達があった。
これまで多くの人に迷惑をかけてきたのでせめてもの償いの印にとボランティアを努めてきた。
それに対する身に余るほどの祝意だ。
子どもの頃から父に聞いてきたこのボランティア、現役を退いたら絶対になってやろうと思っていた。
両親が知ったらどんなに喜んでくれただろうか。

家内と二人ささやかな夕餉の宴を開いた。

一歩ずつあの世が近づいて来た。
最期のときに後悔と慟哭の中で一筋の光が見えたらいい。

困ったこと

新型コロナウイルスの蔓延で非常に困ったことがある。
運転免許がないことだ。
現役の頃少しの間運転してはみたけれど、自分には合わないと思って数年前に返納してしまったのだ。
何が困るか。
もしもコロナに感染しても病院に行く手段がない。
マイカーなら自分で運転して行けるが、なければバスかタクシーの利用になるけれど陽性の可能性のある人間が乗るわけにはいくまい。
とすると、自転車か徒歩だ。
近くならいいけれど遠くなら大変だ。
都会で車を持っていない人はどうするのだろう。

免許証を返納したおかげでタクシー代は一割引だ。
バス会社の株主だから無料優待パスでたいていの路線に乗れる。

まさか、こんなことで車が必要になるとは思わなかった。

白鳥の鳴き声が聞こえる。
まだ近くの川には舞い降りていない。
毎年やってきてしばし地域住民を和ませてくれる。
コロナは寒さと乾燥で広がるという。白鳥がコロナの使者にならなければいいが。

メルカリ初出品

メルカリとやらをやってみたくて挑戦してみた。
さし当たり手元にあった全日空の株主優待券と書籍。
なんと優待券に早々と買い手が付いた。


その後の手続きがまた簡単で71歳のじさまでも直ぐにできてしまった。
世の中進んでいる。

これなら読まずに本箱に眠っている本をびしばし売りまくって小遣い稼ぎができる。
そのお金で世界一周旅行でもしようか。

町内会

1期2年の町内会長2年目に入った。
おととし6月、当時の会長が病気入院、会則では会長に事故あるときは副会長がその任に当たる旨の規定があるので、副会長の私が引き継いで、昨年4月にそのまま会長に選任された次第。大半の役員は後任が見つからないため、もう何年も頑張ってくれている。

町内会員も高齢化が進み、7割か8割くらいが60歳以上だ。誰も役員のなり手がいない。あと10年も経てばどのような状況になっているか、想像するのも恐ろしい。
ある人曰く、町内会を解体して最後に残るのは街灯の電気代の徴収だけだそうだ。

町内会の事務を請け負ってくれる組織ができないだろうか。
ある程度数がまとまれば、数人で請け負っても退職後の小遣い稼ぎくらいにはなりそうだけれど。

一つの自治体のかなりの町内会をお客にしたら、起業を考えている人にはチャンスかもしれないよ。

写真はかつて秋田市庁舎前にあった花時計。今は駐車場になった。

予防接種

10月2日。インフルエンザの予防接種に行ってきた。
昨年開院したばかりの真新しいクリニックで院長もスタッフも感じがいい。
待合室は高熱・咳の有症者の席が別れておりその間隔もかなり広い。
もし発熱しても初診はこのクリニックでいいなと思った。

Facebookのアカウントが何者かに乗っ取られそれを取り返すのに一騒動。未明までかかった。それも何だかいつの間にか取り返したようで自分でもどうやってこうなったのかわからない。顔と運転経歴証明書の写真を何度送ったかわからない。まったくこんなことをする不届き者はどこのどいつだと腹の中で叫びながら時間が経つごとに気温が下がる中を作業に没頭した。

実は書きたいことはたくさんあるのだが、パソコンに向き合う気持ちにならない。
それでもお付き合いいただけるならこれからもよろしくお願いいたします。


Go To トラベル

9月22日墓参のついでにGo To トラベル第2弾に挑戦。

11月に法事を行うので今回の供物は最小限にとどめた。花と三点セット。すなわち父の好物のたばことビールと酒。これだけは欠かさない。

この後羽後交通の本荘営業所からバスに乗って矢島駅に向かった。
これが大成功。由利本荘市の市街地をまわって目的地に向かう。国道を走ったかと思えば旧道に入り集落を一回りして再び国道に戻り同じところを2回めぐる。こういう箇所が2,3カ所あった。その地域の昔の面影が偲ばれて面白かった。

矢島駅には宿の車が迎えに来ていて御朱印を頂く寺を経由して連れて行ってもらう。聞けばほとんどの客はマイカー利用で宿の車で送迎してもらうのは我々だけとのこと。

宿のホテルフォレスタ鳥海に着くと寒気がして直ぐに温泉に入る。少しぬるめのお湯だったが良く暖まった。
この頃寒気を感ずることがある。その後で熱が上がるわけではないがあまり気持ちのいいものでは無い。もう年なんだろうな。もともと平熱が高かったが、年を重ねて体温が下がってきたのかも知れない。例の感染症が心配で少し熱っぽく感ずると何度も体温を測るようになった。

楽しみは夕食だ。






今回もGo To トラベル他の助成などがあったので自己負担は驚くほど少なかった。
これで2度目の利用だけれどもう利用することはない。県外には行かない。

翌23日は青空が広がり秋の日だまりの中をホテル周囲を森林浴した。
ブナの原生林が鬱蒼と佇んでいる。






ホテルを出て今度は国際禅堂へ。
旧矢島町の高建寺の住職があちこち托鉢して歩き苦労して建立された施設だ。外国人の修行僧も多く訪れるという。
ここからの鳥海山の眺めが最高だった。
住職の奥様が点ててくださったお薄を頂きながら望んだ霊峰鳥海山はすばらしかった。



帰りは由利高原鉄道で羽後本荘経由で秋田へ。
電車はおもちゃ列車だった。
秋田に着いて昼食は刺身定食。
また太った、たぶん。糖尿が心配だ。


減量作戦足踏み

69.9キロ以来着実に体重が落ちてきたが、ここに来てやや下降曲線が滞っている。
先日のさんねむ温泉での豪華な夕食で一度大きくアップして、暫くして少しずつ下がっては来ているのだが、一度経験した66キロ台へはなかなか戻れない。
せめて67キロ台を維持したいところだが、このところ68キロ台が続いている。

食べたい物を食べて体重の維持ができれば何の文句もないのだけれど、糖尿病の宣告以来好きな物を我慢してがんばっている。
この頃は、そんな食生活になれたせいかあまり食べられなくなった。茶碗一杯の御飯は半分も食べればもう満腹感が出てきて残してしまう。
だからたぶん寿司一人前はとても食べられないだろう。女房と二人で一人前でも全然問題ないかも知れない。

思い出すのは以前見た食堂での光景だ。
テーブルの真ん中に鍋が一個。向き合って座った夫婦らしい男女。それぞれの前には丼が置かれている。
何だか変だなと思ったが何がおかしいのか直ぐには思い至らなかった。
暫くして、二人なのに鍋が一つ。これはおかしい。たぶん肉鍋定食を一つ頼んで丼を追加したのだと気が付いた。
帰りに店員に聞くと正にそのとおり。
その時は違和感を感じたが今ではよく理解できる。
私たちもそのような注文をするようになるかも知れない。

そこで提案だが、シルバーセットなんていうのはどうだろうか。
鍋は一個、漬け物、御飯、小鉢を二個ずつ。
ラーメンも二人で取り分ける小さな丼を二個。
寿司は1.5人前を提供して二人で食べてもらう
これから先、食の細い高齢者は増える一方だろう。

好きな物を腹一杯に食べた若い頃が懐かしい。
もっともそのつけが糖尿病、高血圧などの生活習慣病となって表れてきた。
減量したおかげで、血糖値が下がり血圧もまあまあの値で安定している。薬も減った。
このまま死ぬまで低カロリーの食事を続けることになる。
なあに たまには 羽目を外すさ。そうでもしなきゃ 長続きなんかしない。

秋田は今日も暑かった

いやぁ
このところまったく暑い。
学生時代、と言うことはもう半世紀も前のことだ。
夏休みが終わって京都に帰るともう9月なのに半袖シャツで過ごすことができた。
その頃の秋田は、お盆が終わると秋風が吹き涼しくなった。当然9月に入ると長袖になる。

今、秋田もあの頃の京都並みに暑い。

昼食は昔懐かしいスイカ入りの冷やし中華。
缶詰のさくらんぼを上にのせる店もあった。

Go To 象潟

8月31日象潟へ行ってきた。
一泊二食14,000円。二人だから28,000円。
Go To キャンペーンの対象施設とわかり手続きをした。
9,800円も助成されることがわかった。


意気揚々とホテルに入ると観光協会からお一人様1,000の補助が出ますとのこと。
更に市から一人3,000円相当のお土産。


豪華な夕食。





精算したら県のプレミアム宿泊券なども使い現金の支払いは905円ですんだ。

翌9月1日は、坩満寺へ。



象潟はかつて松島のように海に多くの島々が浮かぶ景勝地だった。
芭蕉も訪れ、
   象潟や雨に西施がねぶの花
の句を残している。
その後、大地震により隆起して今は陸地になり、点在する島々がその頃の面影を残している。



かつて周りが海だったことがわかる。

その結果着々と減量してきた体重が見事に復活。
さてどうしたものか。

この頃のこと

8月27日
歯科クリニックの帰りにイオン中央店に入ると”あまびえ”の練り切りが売られていたので、買ってきた。
早く退散して欲しいので。


だいぶ前に申し込んでいたシャープのマスクが25日届いた。
かなりの回数の抽選を経てやっと当選した。
この冬はどうなるのかわからないからその時になって困らないように少しずつ買いためておきたい。


千秋公園のハスの花。8月25日。



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睡蓮の可憐な花


県民会館の後に建設中のあきた芸術会館の建設工事

マスクと花

絹のマスクを購入しました。
高いマスクなので、使用する時と場所を考えます。
アベノマスクは家宝にして子々孫々伝えます。
そういえば昔「絹のハンカチーフ」と呼ばれた政治家がおりましたっけ。


貴船菊またの名を秋明菊とも言うそうです。
今を盛りに咲いています。
秋ですね。
朝夕はあっという間に涼しくなりました。
今年は夏らしい日がほとんどなかったような。
来る日も来る日も雨か曇り、からりと晴れ上がった日が何日あったでしょうか。
猛暑の地域の人たちのことに思いをはせ、灰色の空を見上げては何度恨めしく思ったことでしょう。
せめて爽やかな秋の空を楽しませてもらいたいものです。

秋田市民市場

昨日、晴天二日目でやっと空気もからりとしてきたから、外に出た。
市民市場であれこれこれ購入しようと思った。
まず、漬け物。大根の二年もの。
サンマのみりん干し、たらこ一腹、塩鮭のはらみ。
ぶらぶら歩いていると岩ガキが目に入った。
「食べて行きませんか」と書いてある。
この時期よく食べているが今年は未だだ。
500円のを一個頼んだ。
丁寧な処理をして食べさせてくれた。
新鮮だから瑞々しくて何のくせもない。
何かでカキにレモン汁をかけるのは、仮死させるためと読んだことがある。
いろいろな人に聞いてみたが、その説を支持する人は誰もいなかった。
日本人は、魚の躍り食いをするからあまり気にしないが、外国の人にとっては未だ生きているものを食べるのには抵抗があるのではあるまいか。

市民市場はワンダーランド。




久しぶりの青空

やっと青空が広がった。
それでも一日中ごろごろしていて夕方やっと外に出た。
昨日まで雨だったから心なしか空気が湿っているような感じがした。
やっぱり夏はからりとしていた方が良い。
西日本の猛暑で苦しんでいる皆さんには申し訳ないが。

我が家の庭の草花は元気だ。
ハマナスは未だ実をつけているし、ブルーベリーもたわわだ。
これでまたジャムをたくさん作れる。

明日から暫く天気が良いらしい。
あまり人の来ないところに出かけてみようか。

猛暑と天候不順

暑さに苦しんでいる人たちがいれば、毎日の雨に泣きたくなっている人たちもいる。

秋田は今日も雨だった。

梅雨明け宣言今年はなし。

予報では、暫く雨催い(あまもよい)の日々が続く。

新コロで外出自粛、加えて鬱陶しい天気、これではおかしくなりそうだ。


ハマナスのネックレス

盆の13にぢ みそががら まじだ
亡くなった祖母が、今頃になると良く歌っていた歌だ。
盆の13日が来るのを大晦日から待っていた。
盆と正月しか休みのなかった奉公人にとってそれはそれは待ちに待った日だったに違いない。
だから半年も前から待っていた。

いつもの年なら13日に行く墓参だけれど今年は新型コロナウイルスもあるので混雑を避けて14日に行ってきた。
予想通り墓地も本堂もほとんど人はいなかった。
ふと見ると石像にハマナスのネックレスがかけられていた。


こちらではハマナスの実を数珠つなぎにして仏壇や墓前に供える風習がある。
我が家にもハマナスがあるが白と赤のきれいな花を咲かせかぐわしい香りを放っていたが実は一個しかつけなかった。
実のなる種類が別にあるのかも知れない。
この”ネックレス”は市場などで売っているはずだ。

駅で由利高原鉄道鳥海山ろく線の列車が止まっていた。




様々なイベント列車を走らせている。

更に進む進む認知症

昨夜、「二週間」の記事を書いてからベッドに横になって、ハテと思った。
既視感ではなくて既書感(こんな言葉があるか知らないが)に襲われた。
何だか以前にも同じようなことを書いたような気がする。
今朝起きて確認すると案の定「戦々恐々」で同じようなことを書いているのだ。
これは大変だ。
もう完全に認知症だ。
早速、市役所に電話して、調査員に来てもらって等級を判定してもらわねばならない。
要支援か要介護か。
要介護の3くらいだろうか。
それなら毎日美人のヘルパーさんに来てもらうことができるのではないか。
そんなことを考えていると急に脛の傷を思い出した。

一昨日の朝、ズボンを履こうとして、とりあえず左足はくぐらせたのだが、右足の時にそれは起こった。
つかまり立ちしないでできるだけ片足立ちしようとがんばっている。
右足がズボンの股に引っかかってにっちもさっちもいかなくなったのだ。
あっという間に転倒。床とテーブルの脚に両足をしたたか打ち付けてしまった。
暫く痛かったがやがて痛みがひけてズボンをはいて昨日の夜まで気が付かなかった。
なんと左足の脛に円形状の傷ができている。10円玉くらいの大きさで皮膚がめくれて真っ赤になっている。
今朝見るとその周りがまた少し赤みを帯びてきてこれは大変な怪我ではないかと思った。
女房はあっけらかんとして「あなたの好きなあそこの皮膚科に行ってきたら」と言う。
そうだ化膿しては大変だ。

ドクター曰く、そんなに深くないから一週間消毒して軟膏を塗っていれば治りますと。
ひとまずホッとした。
そしたら今度は再び既書感に襲われたのだ。
それで今これを書いている。
クリニックで貼ってくれたはずのガーゼが脛から取れてどこに行ったかわからない。
「取れたことに気づかなかったの」と言われたってわからないものはわからない。

認知症着々進行中。

二週間

今からおよそ50年前、ということは半世紀前!
ボニージャックスという男性4人のコーラスグループが歌ってヒットしたロシア民謡があった。

「一週間」という名の歌で、恋人に一週間の出来事をコミカルに教える歌詞だった。
あの頃は歌声喫茶の全盛期で、どこの店でも歌われていたはずだ。
京都は四条通に「炎」があり新宿は「ともしび」だった。
後輩やいとこたちが修学旅行で上洛すると炎に連れて行って、銅鑼声をがなり立てたものだった。
コーラかファンタが付いて歌集は有料だったろうか。
大学生の小遣いでもあまり懐の痛まない出費だった。


さて、今日のテーマは二週間。
やっと経過した。
その日、ある建物の中で、偶然話をした女性はいわゆる鼻マスクで、一瞬「危ない」と思ったのだが、その時はもう遅かった。
帰り際「どちらからいらっしゃったのですか」と問うと「あなた方に嫌われるところ」と言う。
と言うことは、首都圏か。
その時は次のスケジュールが入っていたので直ぐに忘れてしまったが、翌日あるクリニックの診療の予約が入っていた。
出かける直前、念のため前日の出来事を告げた方が良いかと思って電話してみた。
すると、なんと、やんわりと診療謝絶。処方箋は発行するから受け取りに来いという。
さらに二日後に受診したいと思っていたクリニックに電話してみるとこちらも同様だった。但し薬はいつもの薬局が届けてくれるという。
困った。
私は自家用車がない。家内も運転しない。
バスに乗ってもいいのか。タクシーでもいいのか。
困り果てて、思いついたのは、「帰国者・接触者相談センター」だった。
最初の番号は、コールサインは聞こえるものの出てくれない。
次の番号にかけてみるとこちらは程なく出てくれた。
事情を説明して、どうしたらいいか尋ねると「普通の暮らしでいいですよ」「バスに乗っても構いません」とのことだった。

そんなことがあったので、念のためこれは外出を自粛しようと二週間じっと我慢したのだった。
すると不思議なもので、何だかのどが痛い感じがするし、体温も平熱ではないような感じがする。
後で思ったのだが、もともとのどの痛みは時々あったし、熱も同年代の人に比べたら子どもの頃から高めだった。
しかし、6度2分から6度8分、7度1分などになるとこれはもうパニック寸前。
体温計の種類を替えて何度も何度もはかり女房にはあきれられてしまった。
そして無事二週間経過。
期間計算の始期がわからなかったから、勝手に「あの日の」(日曜日だとすると)翌日(月曜日)を初日にして、それから二週間後の応当日(月曜日)の前日(日曜日)で満了することにした。
そして無事経過。

我々が考えている以上に医療の専門家がナーバスになっていることがよくよくわかった。
実際に陽性の判定を受けて自宅療養を余儀なくされている人たちの気持ちが少しは理解できた。その恐怖感も。

先日、秋田駅前に出てみると、少し駅から離れた辺りではノーマスクの人が結構歩いていた。
一人二人と数えてみたが、途中で止めた。
小学生から高校生まで、外ではノーマスクの子供達が多い。
確かに郊外はあまり人も歩いていないから、それほど神経質にならなくてもいいのかも知れないが、少しでも近くに人がいたら直ぐに装着してもらいたい。
私は、喘息、糖尿病、高血圧と持病のオンパレードだ。絶対に罹りたくない。
子供達と孫達に今年の夏の帰省は止めるように言った。みんな理解してくれた。
孫には会いたい。だっこもしたい。しかし今年はひたすら我慢だ。


進む進む認知症

毎日進む認知症が自覚できる。
女房にも毎日言われるのだけれど、とにかくおかしい。

さっき聞いたことを覚えていない、捜し物をしていて、さて何が必要だったかとっさに思いつかない、顔は思い出すが名前が出てこない、昨夜酔っ払ってからみたテレビドラマの結末を覚えていない、女房の顔がきれいに見える、鏡に顔を写してみたら今まで見たこともないようなイケメンが写っている、だめだこりゃ。

あの世とやらで本当に懐かしい人たちと出会えるのなら早く逝ってもいいけれど、そもそもそのような世界がなかったら、これほど絶望的なことはない。
やっぱり安いワインをあおって夢の世界で遊ぶのが一番良さそうだ。
認知症の心配もない。
そもそも認知症というのは過去の苦しいこと、恥ずかしいこと、悲しいことを忘れさせるように神様が作ってくれたものではないか。
それならそれもいいな。

8月の一日

マスクをしない人たちが増えてきた。
コンビニでもスーパーでも。
秋田は感染が少ないから警戒感が緩んできているのではないか。
これから帰省者の増加するお盆が来る。
先日の四連休後の2週間も進行中だ。
岩手県でも遂に陽性者が発生した。
北東北三県は陽性者が少ないがいつまで続くのか。
油断は禁物。気をつけていきたい。
私は持病のデパート。
喘息に糖尿病に高血圧。体重のコントロールを心がけやっとHbA1cも基準値に入り血圧も降圧剤が1種類減らされるまでになった。できるだけのことはやっている。絶対に罹患したくない。

都のさるお方からおいしいお菓子をいただいた。
甘味控えめ、爽やかな酸味がある。これに我が家のベルガモットの葉を添えた。


庭ではカサブランカが甘い芳香を放っている、去年足利フラワーパークで球根を購入してきたものだ。
ハマナスの実がなり、ブルーベリーも豊作だ。




早く病魔を追い払い穏やかな日常を取り戻したい。

戦々恐々

先週の日曜日のこと。
ある場所で「あなた方の嫌いなところから来た」という女性と偶然話をした。
距離4,50センチ。時間4,5分。
こちらはマスクを完全装着。あちらはいわゆる鼻マスクだ。

翌月曜日はクリニックの予約通院日だ。
念のためと思ってクリニックに電話してみると、処方箋は発行するが診察室に入れないという。
水曜日に行く予定のクリニックは、薬局から薬を届けるがやはり院内には入れないという。
さて、困った。
私にはマイカーがない。バスで行くか、タクシーで行くか。自転車で行くと言うと家内が危ないから止せという。

思いあまって「帰国者・接触者相談センター」に電話してみた。
最初の番号は暫く出なかったので、別の番号にかけてみると少し待ったがつながった。
事情を説明して、熱も咳もないことなどを伝えると「普通の暮らしで大丈夫ですよ」「バスに乗ってもいいですよ」とのありがたいお言葉だった。
おかげで薬を入手できたので、早めに帰宅した。

その後が大変。
パニック気味になったのだ。毎日何度も3種類の体温計で検温。37.5度になっていないことを確認しては一安心。
毎日その繰り返しだ。あと1週間。不安な日々を過ごすことになる。
私は持病のデパート。糖尿病、高血圧、喘息etc
普通ならここまで心配しないが、何しろ開業医の先生方の対応がぴりぴりしている。

今はひたすら自粛中。
それにしても、この感染者の少ない土地に来て鼻マスクはないだろう。こちらも油断だった。

ワインを飲んでできるだけいい夢を見たい。

写真はその日曜日、秋田市の千秋公園で撮影した古代ハスのつぼみ。
今頃咲いているだろうか。


自粛期間が明けたら一等先に行ってみたい。

新聞

両親が未だ元気だった頃、それまで何十年も購読していた全国紙を止めて地方紙に替えた。
理由を聞いてみると、「(全国紙は)難しくて読めなくなった」と言う。

最近、私もそう思う。重厚長大な記事は読むのがしんどい。
そこで時々地方紙を買ってくるのだが、こちらの方はカラー写真をふんだんに使い、内容も身近な話題で溢れている。
地元の人たちはお悔やみ欄が充実しているというのだが、それほど違うとは思えない。一つだけ地方紙の特徴をあげると、故人の名前の後に直ぐ住所が記載されている。これはいい。名前と住所がぱっと目に付くから自分との関係が直ぐにわかる。

父が亡くなって、母が一人暮らしを始めた頃、口癖のように「どうしてこう頭悪くなったんだろう」と言うようになった。
(別に、今に始まったことじゃあるまい)と内心思ったが、口に出したら最後、再起かなわぬくらいに罵倒されるに違いない。
ふと「小学生新聞取ってやろうか」と思ったままを言った。
「バカにしなさんな」と。それはそれはエラい剣幕で。

好々爺

若い頃、歳をとれば人は皆好々爺になるものと信じていた。
様々な社会経験を積み酸いも甘いも噛み分けて老成するのだろうと思っていた。
しかし、そうではない。
自分を見れば良くわかる。ただ漫然と歳をとるだけでは人間そう簡単に好々爺になどなれるものでは無い。
日々の反省と不断の努力を積み重ねなければならないのだ。
人間まだまだできていない。
こんな悩みは棺桶に入るまで続くのだろうか。

再開再会

随分長く休んでしまった。
ブログを始めて以来の最長期間だと思う。
何しろパソコンデスクに向かう気が起きない。
その代わりフェイスブックはほとんど毎日更新している。写真を撮って数分書き込めばできあがり。寝転がってでもできる。後縦靱帯骨化症の手術以来、根気がなくなり背筋を伸ばして長時間椅子に座るのが億劫になった。

休んでいる間に様々なことがあった。
小樽の叔母が、昨年3月亡くなった叔母の後を追うようにこの5月に亡くなった。葬儀は新型コロナウイルスの関係もあって参列できなかった。喪主のいとこも時節柄ごくごく内輪のの集まりを選択した。残念だったがこのご時世だからやむを得ない。
母の実家の直ぐ近くに住んでいたから、子どもの頃から随分お世話になった。ただただ御冥福をお祈りする。
もう北海道の母の弟妹は皆鬼籍に入った。寂しい限りだ。

新聞の投書欄で、”すきま運動”という投稿を読んだ。著者は糖尿病の男性だが、奥様のカロリーコントロールと隙間時間を活用した運動で病気の進行を抑えることに成功しているとのことだった。その隙間運動というのは、暇を見つけて家の中を歩くこと。これなら私でもできると思って早速始めた。調子の良い時ならだいたい7,8千歩くらい歩ける。食後少し休んで歩く。おやつを食べてから歩く。更に食前にはスクワット。
食事は相変わらず、朝はトースト8枚切りの半分、ベーコン、卵焼き半個分、生野菜、煮大豆、寒天、ヨーグルト。昼はうどん半玉か冷やし中華半人前またはお茶漬け。夜は寒天、生野菜、煮大豆か白飯80グラム、メインディッシュ、味噌汁。晩酌の時は白飯はなし。
こんな生活を続けていたら、昨年の11月末に75キロあった体重が先月は68キロになった。HbA1cも7.8から5.8まで落ちた。肝機能を始め様々な検査項目も全部基準範囲内だった。これでまた少し飲める。

昨日、後縦靱帯骨化症の手術後の経過を調べてもらいに病院に行ってきた。頸椎と胸椎のMRIとレントゲン。結果は良好とのことだった。次回は2年後でも可という。転ぶなと言う。もちろんわかっている。下手をすればそれが原因で四肢麻痺になるかも知れない。自分ではあまり気が付かなかったが、手術の結果、確かに病状は改善されている。ドクターに指摘されて、手術前にあった掌の痺れやたまに全身を貫く神経の緊張がなくなった。
一昨日から大館入りして夜は比内地鶏の焼き鳥を食べに行った。

うまいとんかつ屋。
とんかつ咲々。
秋田市泉中央2丁目8-6
DSC_0195_edited-1.JPG

69.9

遂にやった!!!

70キロを切った。
何十年ぶりだろうか。

予備軍から糖尿病本隊に編入されて、減量は至上命題だった。

朝食は、牛乳、コーヒー、大嫌いなほうれん草のおひたし、トマト、キャベツ、大豆煮、ヨーグルト、寒天。

昼食は、うどん半玉。

夕食は御飯80グラム、メインディッシュ、副菜、寒天。

断酒4ヶ月。

できれば65キロくらいを維持したいのだが。