我が母 VS 隣のじゃっちゃ

せっかく湯沢の絵どうろうを見たのだから、予定にはなかったのだけれど、母と一緒に懐かしい場所へ行こうと思った。

子供の頃、足かけ6年暮らした場所。
昭和30年前後から30年代半ばまで。

そのころの湯沢市のさらに郡部。
父は公務員で転勤族。湯沢に転勤になった。しかし、公的な住宅やアパートもなくて結局農村部の一軒家を借りた。

母は貧しいながらも小樽の育ち。言ってみれば都会育ちだ。
その彼女がド田舎へ来た。
驚くことばっかりだったらしい。
カルチャーショック。

女性があぐらをかく。
そしてお茶のみ。
お茶請けはがっこ(漬け物)。
それに砂糖をかける。

路上では、敬礼をする人たちもいた。
まだ電気が通っていない家もあった。そちらのお宅では、一人一人お膳があって、食事が終わると茶碗にお湯を受けて、その茶碗を洗い、お湯を飲み、お膳の引き出しに戻すとか。

風呂は隣にもらい湯。
母と妹と3人で行った。
いわゆる五右衛門風呂。

懐かしい思い出がどっとこみ上げる。

行きました。
隣のじゃっちゃへ。
私 「じゃっちゃ、秋田のgです。」
じゃっちゃ 「gちゃん!」

OHまさしくじゃっちゃ!
じゃっちゃと母の感激の対面。
じゃっちゃはちっとも変わっていない。
87歳と言えば母と同じ年。
いろいろ事情のある人だったが大きな声の愉快な人だった。
母「もあの田舎でじゃっちゃのおかげでどんなに救われたことか。
我が懐かしのじゃっちゃ。

「gちゃん、まだ、母さんどごつれでこいや(また母さんをつれておいで)」

じゃっちゃ
母さんのこと。


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この記事へのコメント

黒柴
2007年08月08日 05:38
「じゃっちゃ 母さんのこと」と最後の一行を読むまで「じっちゃ」だと思い、おじいさんだと思ってました。
話しの趣がかわっちゃう。。

昔の日本の田舎と都会の差は
今ちょっとそこらへんに海外旅行に行くより
カルチャーショックがあったんですね。
g
2007年08月08日 11:22
まだ農村部は閉鎖的でした。
だからこそ隣のじゃっちゃのようにおおらかな人柄で受け入れてくれる人がいたことが救いになったのだと思います。

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