『反戦と平和』 yukieさん

毎年8月15日におばあ様の思い出でを綴ってくださると約束したyukieさんの去年の8月15日の記事です。

あいにくyukieさんのブログは事情により閉鎖されました。
代わってこのブログに掲載します。



私の住む秋田の街に、江戸時代の城址を公園にした市民の憩いの場があります。
春は桜、つつじが美しく咲き、夏は大樹となった木々が緑美しく萌え、秋の紅葉、冬の凛とした佇まいがそれはそれは美しい公園で、名を「千秋公園」といいます。私にとって緑豊かなその公園はいつだって「平和」そのものでした。
しかし、ほとんどの松の木に深い切り傷が残っているのを知ったとき。
傷跡の深さと、その痛みをかばおうとするように膨れ上がった周りの樹皮に、緑まで切りつけた戦争の残酷さを見、戦後五十年を経てもいまだ癒えないものがあることを、まざまざと目の当たりにしたのでした。

松の木は何故切りつけられたのか。それは油を採るためでした。
松の油で戦闘機を飛ばせようとしたのです。
第二次大戦下では、「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」というスローガンが全国に掲げられ、東北北国秋田の地でも、多くの松が切りつけられたのでした。
このことを知ったとき。私は、幼い頃に祖母が話してくれた空襲の話を思い出しました。  
庭に生い茂る棗の木の下で、祖母が話す話の多くは戦争のことでした。
そんなときの祖母はいつだって、私の小さな手を求めました。
しわしわの祖母の手は、あたたかくてやわらかくて心地が好かった。
深い想いをたたえたその瞳のさみしさは、子供心に悲しくて、祖母がいつもとは違った声で「ゆきちゃん」と手まねきをして呼ぶときには、傍にいかなければと駆けつけたものでした。

私の実家は、当時、全国一石油が採れたという八橋地区にあります。秋田県は日本国内の70%以上を産油し、その原油は県内で精製されて日本各地に送られました。
しかし、それでもまだ、松油を採るほどにこの国は困窮していたのでした。
衝撃でした。
200本の松で一時間飛べる。
それがなんだというのでしょう。

帰りの燃料は持たなかったということは事実なのだと知ってはいましたが。そこまでしていたのだと知ったときの、震えは忘れられません。 

命を傷つけ、命を自ら散らすことなど何故できたのか。
何故!
・・・何故。

戦場で体を壊し家に戻っていた祖父と、身を寄せ合うように生きていた祖母は、石油が採れるこの地区はいつか米軍に狙われるだろうと囁きあったといいます。そのときは一緒に死のうと手を握り合い、誓い合ったそうです。
そして、この近辺に空爆を受けるかもしれないという予想は悲しいことに当たりました。
しかも皮肉なことは終戦前夜。

1946年8月の14日。
製油所があった土崎地区が空襲を受け、多くの死者が出ました。
上空を爆撃機が飛ぶのを、飛んでいった先が赤黒く染まり、轟音が響くのを聞きながら、私の家族は防空壕には逃げずに、縁側でただただそれを睨んでいたそうです。

外国の軍人をみたことがない祖母は
「だから誰も憎くなかった。けれど怖かった。明日、誰かがいなくなっているのが恐ろしかった。誰もが生きていてほしかった」
そう、言っていました。

当時はそんな想いの家族が、日本国中にいたのでしょう。
それが叶わなかった人も多かったことでしょう。

愛する人がいて、守りたい人がいながら、その人が傍にいなかった人も、私たちを守るために亡くなった人もいて。
命が懸命に産み出されるものである限り、愛情は誰しもが抱くもの。

そして平和は。
求め築きあげなければ存在しないものなのだと、私は祖母から教わりました。
棗の木の下での講義でした。

ここで万葉集から棗の木を詠んだ歌を、ひとつ紹介します。

「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」

(なしなつめ,きみにあはつぎ,はふくずの,のちもあはむと,あふひはなさく)

「梨、棗と続くように、あなたに会いたい。葛のつるが別れてまたつながるように、またあなたに逢いたい。あなたに逢う日は花が咲くように嬉しい」

我が家の棗は、縁側を覆うように育っていました。空から祖父母を守るように生い茂っていたのかもしれません。
だからこそ、祖母はそこに私を呼んで、戦争を語り、平和を諭してくれたのかもしれません。

「あなたに逢いたい。あなたに逢う日は花の咲くように嬉しい」

いつだって私は、こんな気持ちを守りたくて、世界の平和を祈っています。


yukieさん
ありがとうございます
今年も書いてくださいましたね。
戦争の理不尽さ、残酷さは語り尽くせない気がします。
毎年こうしておばあさんの思い出とともに戦争のこと、土崎空襲のことを書いて頂くことが、一市民の発する平和へのメッセージになることでしょう。やがてその思いがいつか大きなうねりになることを期待して。


gakkokamenさん
今年も、ありがとうございました。
棗の木は、ここ数年、鈴生りです。
今も日ごとに、数を増やし実を膨らませています。
終戦65年目の今年は、
知らなかった戦争のことを、さまざまな形で知る機会がありました。
二度と起こしてはならないことだと、折りに触れ、心に誓っています。
平和を願うというこの言葉を、毎年この日に掲げられるのも、gakkokamenさんが声をかけてくださったからです。
ありがとうございます。

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この記事へのコメント

baisa
2011年08月13日 16:28
こんにちは。
また終戦のあの暑かった日が来ましたね。訳も解らずラジオの前で正座していました。細い足にゲートルを撒いたまま・・・。
子供達まで軍事教練の教官の竹刀で叩かれて・・勝つまではと。本当に何なんでしょうね?まったくっ!
有難う。
おばさん
2011年08月14日 15:08
東北の地で空襲というのが珍しいなと
住んでいた時に思っていたのですが、

石油が採れるこの地区はいつか米軍に狙われるだろう
↑こーいう理由で空爆されたのですね。
原因がわかってよかったです。

世界情勢が緊迫しているのが、
最近気になりますが、
戦争は二度と起こしてほしくないですね。

2011年08月18日 22:14
baisaさん
玉音放送をお聞きになったのですか?
そんなお歳とは知りませんでした(ごめんなさい)
2011年08月18日 22:23
あまり知られていませんが、今でも港を浚渫した時など不発弾が発見されることがあります。
歴史をきちんと教えるべきです。

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  • 8月15日

    Excerpt: 祖母が元気な頃良く歌っていた歌。 Weblog: 秋田がらくた箱 racked: 2013-08-15 11:50