制服 校則 黒い髪

どこかの小学校の標準服がアルマーニになりそうだという。

従来の倍近い価格。
何故そこまでしなくてはならないのだろう。
校長や教師も入学式や卒業式にはアルマーニを着るのだろうか。
一学期の終業式はアルマーニの夏服。
こりゃ大変なことだ。

私が小学生の頃は、制服も標準服もなかった。
60年も昔の頃だ。
ズボンの尻や膝にはツギを当てた。
誰もお下がりや古着を着ていた。

中学校の頃は、父のお下がりのやや黄ばみかかったワイシャツを着て、母の手編みのセーターを着た。うるさいことは言われなかった。
卒業する頃になって女生徒の制服が取りざたされるようになった。
PTAの集まりに出てきた母が、中には「義務教育だからな」と制定に懐疑的な父親もいたと話していた。

高校は、県立だった。学生服が標準服で、色は黒又は紺。たいていは黒だった。
卒業後、制服の廃止運動が起きた。結局自由化されたが、今はどうだろう。当初の頃は、ジーパンの男子生徒をよく見かけたが、最近はあまり見ない。

制服は大嫌いだった。
好きな服を着たらいいではないか。
だいたい、体育着なんか白ズボンと白のシャツ。たいていその頃できてきたスーパーの安売りで揃えたものだ。みんなばらばらな体育着だったがそれが当たり前だった。
何故みんな同じ物を揃えなければならないのだろうか。

年中着た切り雀でもいいではないか。
今なら、中古品の安売りショップもあるしネットでも買えるだろう。
カネのある家ならブランドものの高級品を買ってもらえるだろうが、豊かでない家はそれなりの服を整えればいい。

だいたい社会に出たり大学などに行けば自由服になるのだから。
制服は貧富を隠す目的があると聞いたことがある。制服だけで隠せるわけではあるまいに。
制服のない国には、貧富の差が無いのだろうか。


今から50年くらい前、長髪がはやった。

男の長髪は、大人達からひんしゅくを買い、フォークソング(戦争を知らない子供達 http://j-lyric.net/artist/a001fc8/l004e27.html)の歌詞にもなった。
それにしてもあの子供達はどこへ行ってしまったんだろう。

最近、地毛の茶色い女性が、高校側から黒毛染めを強制されたとして、訴えたそうだ。
どうして強制するのだろう。社会に出たら茶髪は普通に受け入れられる。その高校は若白髪も駄目なのだろうか。髪がふさふさでなければカツラの装着を求められるのだろうか。

ほとんどの日本人は黒髪だ。しかし、何割が茶色なら染めなくて済むのだろうか。1割か、2割か、半分か。少数者いじめのようにも思える。

さすがに今では丸刈りを見る機会は減ったけれど、私たちが高校の頃は、多くの学校が丸刈りだった。
髪の毛には頭を保護する機能があると誰かが言っていたが、転んだ時、ぶつかった時のショックはかなり差があるだろう。自然に伸びてくる毛を極端に短く刈るというのは、おかしい。

かつてひんしゅくを買った若者が、今は若い人たちに制約を与える側にまわっている。自分の若い頃を思い出してみたらいいのに。
さすがに丸刈りの強制は少なくなったようだけれど、どうしても集団は同じでなければならない国だ。みんなと同じなら安心するんだろうな。そのうちみんなで竹槍の訓練なんか始まるかも知れないぞ。

今はやりの言葉はダイバーシティー、多様性だってさ。
にもかかわらず、最近の日本は同調圧力が強まっている気配が濃厚だ。

どうせ私は変わり者。
人と同じことが嫌いなだけさ。

最近のことなど

まずは新年会。1月30日。

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いぶり大根入りの松前漬けと大根のナタ漬け。

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最後はきりたんぽ。

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その夜の秋田駅前。

イルミネーションはよく見ると秋田新幹線こまちだった。

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1月23日、後縦靱帯骨化症手術半年後の経過を診察してもらった。
MRIを2度。
その写真を見せてもらいながら聞くと経過は良好とのこと。
右手掌の軽い痺れは治っていないし、足のもたつきも術前と同じ。
しかし、あらかじめ、うまくいって現状維持といわれており、その通りの状況だから、これはもう認めるしかない。
とにかく転倒しないこと。それに尽きる。

2月3日。市民活動フェスタ。
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キャサリン嬢。私同様イベントが大好きな様子。
(写真の掲載は御本人の了解を得ております。転載、転写は固くお断りいたします。)

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由利牛のステーキ。これで6百円。

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バス停。
雪が積もったまま。このままではこの場所での乗り降りができない。
誰が除雪するのか。道路管理者か、バスの運行主体か。どちらにしてもこのままじゃおかしい。北海道は、どなたか知らないがワゴン車でやってきた人たちが、除雪していた。

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今日はめちゃくちゃ寒い。
体の中からも暖めることにする。

北海道紀行

1月26日の夕食は、かにづくしだった。

久しぶりの叔父家族等との会食。すっかりごちそうになってしまった。
毛ガニにタラバにずわい。
刺身、天ぷら、しゃぶしゃぶ、炭焼き等々食べ方も多様だ。

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満腹満腹。

実はこの日、秋田空港発10時30分の便に乗るはずだった。
ところが新千歳空港の上空が待機中の飛行機で一杯のため、管制が離陸許可を出さないということだった。出発時刻の見通しが立たない。

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結局搭乗案内が出て乗り込んだのが、14時、更に着雪を防ぐための薬剤の塗布とかで時間がかかり、離陸したのが14時30分頃だった。

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新千歳到着は、15時30分頃。
ここの空港は、積雪がほんとに少ない。秋田空港の方がよほど多い。千歳、苫小牧、室蘭は少ないのだそうだ。その代わりしばれる。

地下の空港駅に行くとごった返していた。一斉に着陸したせいだろうか。
外国人が多い。
Uシートがとれたのは1時間半後の列車だった。

札幌駅で降りてホテルまで歩く。
駅のタクシー待ちは長蛇の列だった。
地下道が整備されているから転倒の危険も無い。

チェックイン後、会食の会場に向かう。

疲れ少々、満腹も手伝ってせっかくの2次会の誘いを断り、ホテルに帰った。


27日、朝食。

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会議の会場まで行く途中、雪まつりが行われる大通公園で雪像の製作風景を見た。
しかし、立ち入り禁止になっていて、ほとんど見られない。

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予定時間を上回るような熱気のこもった討議を終えて、懇親会。
二次会と続いた。
途中で退席して札幌駅へ向かった。
〆パフェを食べたかったのだが、その日のパフェは既に終了していた。

ホテルに戻った。小腹が空いていたので、寿司でもつまもうかと思ったが、オーダーストップだった。
バーに行く。レーズンバターその他を頼んで、飲み物は余市の水割りにした。
途中、ピアノの生演奏が入ったので、ラ・ノビアとサントアマミーをリクエストする。
余市のオンザロック。

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そして、〆パフェ。

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28日朝。
和食にした。
御飯がおいしい。ゆめぴりかとのこと。
お代わりして二膳も食べた。

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駅前の大丸で買い物。お世話になっている方々に、筋子とたらこを送り、我が家には毛ガニと生ウニを買った。生ウニはロシア産。
そして小樽へ。

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叔母達と再会する。
今回は親友のマッサンとは会わない。随分長いつきあいだったが、こちらも歳をとった。これまでにウイスキーは随分飲んだ。ワンショット1500円のもの、ただで飲み放題のもの等々。

小樽の帰り、海の中に人が点在する。サーフィンをやっているらしい。

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新千歳空港で、回転寿司に入る。新鮮なネタで旨かった。しかし、現金5000円しかなかったのでひやひやしながら食べた。6皿で3000円ちょっと。間に合った。

無事帰宅した。

うにで晩酌。

いい旅行だった。







「虚無への供物」など

最近、Kindleにはまっている。

「鳴門秘帖」に始まり、「仁義なき戦い」、「東慶寺花だより、「一路」、「下町ロケット」等を経て、昨年の六月の入院時に、浅田次郎の「憑神」、藤沢周平の「獄医立花登手控え」等を読んだ。退院後には浅田次郎の「天切り松」シリーズ、「プリズンホテル」シリーズを読みながら、ついに「虚無への供物」にたどり着いた。

「虚無への供物」は日本探偵小説三大奇書の一つといわれている。手元にある講談社文庫は、本編だけで632頁の分厚い本だ。奥付を見ると1992年4月21日第32刷発行とあるから、その2、3年後に購入したとしても、20年以上も未読のまま手元に置いていたことになる。御丁寧にも、本革のブックカバーを掛けて日焼けを防いでいたものと見えるが、もう既に焼けてしまった後での処置で効果はほとんどない。

「失われた時を求めて」同様何度かチャレンジしたものの、これまで読破できなかった。ところが、Kindle版にしてみると、まず、文字の大きさが自在に変えられる。高齢者には大きな文字で読めるのが嬉しい。また、スマホやタブレットは本よりも軽いから、寝転がっても読むことができる。ページめくりが楽。これだけ大きなメリットがあったけれど、それでもこの大冊だから、あっという間に読み終えることはできなかった。

作品はいわゆる密室殺人もの。小説の中に小説が出てくるから(これも劇中劇というかわからないが)、途中で、これは本筋の方かそれとも劇中劇の方かこんがらがってしまうこともあった。しかし、読みやすく、多少時間がかかっても順を追っていけば読み終えることができる。

さて、読了後、結局誰が犯人だっけ。密室はどうやって造られたんだっけと肝心要の部分がどうもよくわからない。これはまた読み返してみる必要がある。しかし、こうなると紙ベースの方が良い。何回も繰り返してみるのは、紙の本が便利だ。

これからも、電子書籍にはお世話になりそうだ。これ以上本を増やせない。もう物理的に収納するスペースが無くなったのだ。

さて、私は読了したと言えるだろうか。永遠の謎である。

新年おめでとうございます

皆様新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
最近ではブログの更新が少しおっくうになり滞ることがしばしばですが、これからも惚け防止を兼ねて、可能な限り続けていきたいと思います。
これからも応援お願いいたします。

子供の頃、大晦日や元日は思いっきり興奮する行事でした。
指折り数えて待ったものです。

我が家のお年玉は、数え歳の歳の数に10円をかけた金額。両親と祖母からもらいましたからそれなりの金額になりました。8歳なら240円。
その頃、貯金しろなどと言われたこともありませんし、何に遣ったものか良く覚えていませんが、一つだけ鮮明に覚えているものがあります。小刀です。小学生の男の子の間ではやりました。白木の鞘に入っていて、引き抜くと刃が表れます。鉛筆を削ったり紙を切ったりしたものでしょう。私はこれが欲しくて、大晦日にお年玉をもらうと雑貨を扱う商店に駆け出しました。店に入って暫く経っても私の番が回ってきません。後から来る大人達に先を越されてしまうのです。それだけおとなしい子供でした。心配した父が様子を見に来てくれました。この小刀、後に能代市に移るとマキリと言うことを知りました。アイヌ語で小刀の意味だそうです。
一歳10円というのは、そこそこの金額だったようです。同級生が、「gのうちでは普段お小遣いをたくさんあげていないから、こういう時に少し多めにあげているんだ」と彼の親が言っていたと聞きました。(こんなことを良く覚えているなあと思います)
大晦日の夜は、まず神棚に御神酒を上げて、みんなでお参りをして、父が御神酒を頂きました。
料理は記憶がありません。お頭付きがあったはずですが、何の魚だったか。
鯛か、キンキンか。サンマやハタハタではなかったと思います。

最近の正月はどうでしょうか。
さっぱり興奮しません。旧年と新年のけじめがないのです。
昔は、初売りが二日か三日でしたから、元日はどこも休みに決まっていました。そのフラストレーションを初売りの日に一気に爆発させる。
それが今はどうでしょう。コンビニやスーパーは年中無休。デパートや各商店も元日から初売りです。せめて、元日くらいは休んだらどうでしょう。大晦日もゆっくりできないのではないでしょうか。働く人たちが気の毒です。元日休みがあってこそ、旧年と新年のけじめがつくと思うのですが。

忘年会がありました。
あるボランティアの忘年会では男性4,500円、女性4,000円という会費がありました。その500円の差は何でしょうか。男性は酒を飲むからといいますが、飲まない人もいます。女性でも好きな人がいます。これでは酒を嗜む女性の肩身が狭いのではないでしょうか。昔は、大和撫子の飲酒ははしたないと思われたことがあったのでしょう。男女共同参画時代の今、そろそろ男女同一料金でも良いのではないでしょうか。
かつて、男性が全ての支払いをするのは、女性を経済的無能力者扱いすることだと聞きました。

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職場同期の忘年会の共通の話題も変わりつつあります。
子供のこと、親の介護、自分の健康そして・・・・・

東京から孫が来ました。
半年ぶりの再会です。半年間の成長に驚きます。盆と正月の帰省というのは案外合理的なのかも知れません。

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良いお年でありますように!

手術後の師走

後縦靱帯骨化症の手術後、多くの皆さんにその後いかがですかと聞かれる。

まあまあですと答えている。
術前にドクターから言われていたとおりなのだ。
うまくいっても現状維持と。

確かに手術前とほとんど変わらない。
右掌の痺れは残っているし、右足のもたつきも同じ。但し、足は少しばかり改善した。
顕著なのは、右腕と右足の痺れが治ったこと。

咳をすると胸骨が痛い。
首や背骨も時々痛む。
気のせいか、背中にあったイボの痕が時々ちくちくする。

しかし、術前と比べたら大事にはならない安心感がある。

先日、転倒して両膝と右の肘を痛めた。
初め整形外科に行き、次に皮膚科に変わった。
右膝の傷がなかなか治癒しなくて焦った。
歳も歳、細胞の再生がなかなかうまくいかないのだろう。
ドクターには、転倒に気をつけろと言われたのに、危ないところだった。

師走と言えば忘年会。
その前哨戦が先月から始まった。
実は秋田でもふぐが捕れる。
てっちりとてっさを食べた。

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別の日には寿司会席を。

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秋田県のマスコットキャラクターがスギッチから、んだっちに変わった。んだっちはなまはげだそうな。

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今月、忘年会は5回。
体に気をつけて旨酒、肴を楽しもう。

どうして頭が悪くなったんだろう

母、晩年の口癖だった。

「どうしてこう頭が悪くなったんだろう」
80歳を過ぎてからは毎日のようにぼやいていた。
内心、そりゃ歳だから惚けてきたんだよ、と笑っていたが、最近自分も同じことを考えるようになってきた。

もともと人に、頭が悪いと言われてきて、なにくそと思ってきたが、やっぱりそれを認めざるを得なくなり、加えて記憶力が落ち、飲み込みが益々悪くなると母のあの言葉を思い出すのだ。

あれほど好きだった本もあまり読まなくなり、新聞も朝日新聞は難しく感ずるようになった。
そう言えば、母が新聞はこの頃難しくなったと言ったので、小学生新聞を取ってやろうかと言ったら、猛烈に怒られたっけ。
まじめな話、小学生新聞や中学生新聞も悪くないなと思っている。
小学生の頃毎日小学生新聞が大好きだった。園山俊二の漫画ごんべが面白かった。

おっと論旨がおかしくなってきた。

まあとにかく自分の能力(脳力)も確実に衰えてきているということ。
私ばかりではあるまい。
と言うことは、頭の良し悪しについて、人のことをとやかく言えないし、人からも言われる筋合いはないということか。

さて、今日も旨酒を飲んでいい夢を見よう。

仙台に行ってきた

10月28日、秋田オーパオープン。

仙台に行く前に、開店直後のジュンク堂の様子を見に行く。

まあ、秋田の人は物好きが多い。

最後尾なんてプラカードがちらりと見えた。

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仙台で用務の終わった後、駅に向かう途中急に催してきた。

最近こんなことがちょくちょくある。

見回してみると、コンビニがある。

しかし、間に合いそうもない。

振り向くと飲食店があった。

飛び込んで「トイレ借ります!」

その店は、牛タンの店だった。

そのまま出てくるわけにもいかず、

牛タンを肴に生ビールを一杯。

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この日も良い一日だった。

遠い”時代祭”

10月22日。

この日は時代祭と鞍馬の火祭だ。
しかし、台風が近づいているということで、両方とも中止になってしまった。
本当はこの日帰るつもりだったが、二つの祭があるということで、滞在することにしたのだ。
時代祭は、アルバイトで参加した(延暦武官行列)ことがあるが、最初から最後まで行列を見たことがない。この機会に見てみようと思ったのだ。

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朝食後、さてどこへ出かけたら良いか。
雨の日は三十三間堂がいいと聞いて行ったことがある。
水族館と鉄道博物館に行ってみようか。

まずはイノダのコーヒー。
ここはミルクと砂糖を入れて飲むのがお勧め。普段はブラックだけれどここではそうやって飲む。
アイスコーヒーはコールコーヒーでも通ずる。
数年前本店で聞いた話、厨房ではその頃もコールコーヒーと言っているとのことだった。
学生時代、京都はコールコーヒー、東京はアイスコーヒーだった。
東京や秋田でコールコーヒーなんて言って粋がっていたものだ。

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京都駅からバスに乗って行くと間もなく水族館、そんな遠くないだろうと思って鉄道博物館まで乗る。これが結構な距離で両方見学するのは無理と知った。地図上は近く見えるが歩くと20分近くはかかるのではあるまいか。

素晴らしい博物館だ。大宮よりも私は好きだ。おそらく相当研究したものだろう。
外国人も大勢来ていた。
時代祭を目的に来た人たちも少なくないのではないか。

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お昼御飯。
食堂車の中で食べるのだが、満席だったのでホームのベンチで。
どうせなら昔のようなスタイルで営業してくれたらいいのにと思った。
エビフライのついたランチとかカレーライスとか。

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規模といい、設計といい素晴らしいジオラマ。

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転車台も保存されている。

驚いたのは蒸気機関車の釜焚きだ。
100キロ走るのにこの右下の小さなスコップで2000杯も石炭をくべるのだそうだ。

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もう一度来てみたい。今度は平日。ちびっ子に遠慮せずにあれこれ触れてみたい。

駅経由で高島屋まで行く。
阿闍梨餅を土産に買う。

夕食は弁当と鳥の足。

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政治ショーをみたが途中でばからしくなってテレビを止めた。


10月23日。

政治ショーの結果に鬱々としながら、レストランへ向かう。

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なんと京都のホテルで秋田産の納豆が出た。

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実はこのホテルの向かい側に秋田の佐竹氏の京屋敷があった。
まあ、単なる偶然だろうがなんとなくおかしかった。

台風一過の京都と大阪は青空が広がってきた。
阪急電車の特急運転席の斜め後ろに座って、運転台を眺めていたら、時速120キロ近く出ていた。我が奥羽本線や羽越本線は70キロも出ているだろうか。

空港で肩をたたかれた。振り返ってみると、一昨日の校友大会に出席した友人だ。確か前日に帰っているはず。聞いてみると、台風の影響で欠航になりこの便に変更したとのことだった。

ボンバルディアの到着した秋田は雨だった。

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校友会総会と京土産など

10月21日

この日、かつては10.21国際反戦デーだった。都大路をフランスデモで一杯にした。怒れる若者たち。今はどこにいるのだろうか。

前日の飲み食べ過ぎがたたり朝は食欲無し。

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土産買いに歩く。
高島屋で阿闍梨餅、大丸で白雪ふきん、鳩居堂で匂い袋、イノダのコーヒーでアラビアの雫を購入。

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俵屋旅館の石鹸。

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午後、立命館大学校友会総会。

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全国各地からの日本酒。

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若い人たちとも交流して夜遅くまで賑わった。

国宝

10月20日京都へ。

大阪国際空港までボンバルディア。

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モノレール、阪急、地下鉄烏丸線、東西線と乗り継いで母校の朱雀キャンパスへ

次いで京都国立博物館の国宝展へ。私は放送大学の学生だから、学生料金。
この日は午後八時まで開催。

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やはり一番は曜変天目茶碗だった。まるで宝石を埋め込んだような肌。見たこともないような輝き。
後は、これまでも見たことのある風神雷神図、縄文の女神。
面白かったのは、絵巻物だ。現代のコミックに通ずるものがある。

タクシーで宿まで帰った。秋田に比べたら凄く安い。

夕食に焼き肉店へ。

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久しぶりのホルモンも。

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キムチの味は、しょっぱくなく甘くもなかった。やっぱり漬け物はこうでなくちゃ。
秋田はしょっぱくてかなり強い砂糖味がする。

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ホテルまでの帰り五行に立ち寄ってビールとラーメン。
これが翌日・・・・・

苫小牧紀行 3

10月14日。

朝、ホテルからバックを宅配便で送った。

この日は、分科会だった。
私が選択したのは第五分科会貧困 子供の貧困だった。

塾のコーディネーター、子供食堂の運営者といった多彩なシンポジストの話に感動した。「教育を受けるチャンスを増やして貧困の連鎖を断つ」などの発言や子供食堂の担い手確保など運営の難しさに納得した。
 相対的貧困と非貧困の線引きはどこで行うのか。かなり難しいだろうな。

たっぷりと頭を使った後は、おいしい昼食。

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食後タクシーを飛ばして昨日の市場へ向かう。
練り塩ウニを購入した。なんとまあ厳重な包装だ。保冷剤と箱、包装代が高かった。

会場に戻るとホヤのスープのサービス。放射冷却現象なのか、青空が広がっているのに寒い。冷えた体が温まった。

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午後は、特別講演、分科会報告、記念シンポジューム。どれも充実した内容で教わることが多かった。
最後に、駒澤大学苫小牧高校のブラスバンド演奏に元気をもらった。
ところで日本女性会議と言うからほとんど女性かと思ったら、男性が2,3割もいた。しかも私同様年配の男性も多かった。

そして、突然気が付いた。
今朝送った荷物の中に自宅の鍵が入っている。
家内は、上京中だ。
帰宅しても家には入れない。

さて、どうする。
帰っても、荷物の届く翌日午後6時過ぎまでどうせ家には入れない。
秋田駅前のホテルに泊まり、6時近くまで時間つぶしだ。
ならば、いっそのこともう一泊しようと思った。

それからの行動は早い。
まず、ホテルを予約、続いて飛行機をキャンセル。
ホテルで塩ウニを翌朝冷凍便で送る手続きをとる。
どうせ夕方まで荷物は届かないのだから、JRでゆっくり帰ることにして、駅で切符を購入した。

さて、こうなればもう楽しみは紅灯の巷彷徨だ。
駅の観光案内所で聞いたホテル近くの店へ勇躍出陣した。

まず、刺身の三点盛り合わせ。おまかせだそうだ。嫌いな物を聞かれたので、サンマの刺身、それに十分食べたホッキと答えた。

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出たのがこれ。
なっなんと限りなく大トロに近い中トロ。

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茶碗蒸しを頼んだら、うに、いくら、かにのどれにするか聞かれた。う~んと唸ったら、迷う方にはミックスをお勧めしてますとのこと。それそれ!!!

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会計はいくらかだって?そんな無粋なことは聞きなさんな。
年金生活者でも払えるくらい。あと半年飲み食いしなくてもいいくらいの楽しい思いをした。安いもんだ。

嬉しかったのは、カウンターで隣同士になった地元の方と話が弾み、フェイスブックの友だちになったこと。
貴重なお話も伺った。私は北海道新幹線が函館本線ルートを通る理由がわからなかったが、室蘭本線ルートでは火山灰の降灰の心配があるからだそうだ。

ホテルで、サービスの夜鳴き蕎麦を頂いて夢の世界へ入った。


10月15日。

苫小牧駅から室蘭本線の特急に乗る。

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この水がおいしいんだ。

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途中長万部を通る。それならかにめしに決まっている。
列車に乗って直ぐにワゴンサービスのお姉さんに弁当を予約する。

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やっぱり新幹線は快適だ。

盛岡駅で降りて、駅ビルの生鮮食品コーナーへ。
マグロの解体が終わったばかりのところだった。
旨そうな中トロの柵がなんと千円とちょい。買った!(翌日帰ってきた女房と二人食したがこれが旨いの何のって。寿司の出前を取る予定だったが、これで十分だった。)

秋田新幹線で帰り秋田駅でうろうろしていて、気が付いた。列車にスマホを忘れてきた。直ぐに引き返したが、引き渡しは翌日とのこと。やれやれ。

6時半頃、荷物が届いた。それまで風除室で待った。

家に入り暖房をオンにして、近所の食堂に出かけた。肉鍋定食とビール一本で反省会。今日も充実した一日であった。

夜は更けていくのであった。

苫小牧紀行 2

13日、宿の朝食は止めて、港の食堂へ行った。

余りのメニューの多さに目を奪われ、ここはホッキカレーが定番だというのに、ウニ丼とイカの刺身を頼んだ。

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その後、バス時刻が来るまで周囲を散策した。

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さて、いよいよ本番。

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これが今回の旅行のメインなのだ。
私が参加するのは、13日と14日。

初めはダウン症の書家の金澤翔子さんの揮毫。
「共に生きる」
書に造詣のない私でもこれには感動した。
大らかで伸びやかな文字。
最後はマイケルジャクソンの物まねで会場を笑いの渦に巻き込んだ。
続いて御母堂の講演だった。
随分と悩んだらしい。
ダウン症の人が持つ天使のような人格にほだされて二人三脚をしてきた。
翔子は晴れ女なんです。
不思議なことが一杯あります。
お菓子をあげても他の子供達にみんなあげてしまう。
結局、障がい者も今はやりの言葉で言えば、ダイバーシティーの一環と気づかされた。

弁当。

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午後は、渡辺えりさんの講演。
役者生活の半生を通じて感じた男女共生の難しさなど、ユーモアを交えて語っていた。

夜は焼き肉屋へ。

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苫小牧紀行

10月12日、秋田空港からボンバルディアで新千歳空港へ。

途中、少し揺れたが、まずは無難な飛行だった。

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秋田も新千歳もボーディングブリッジだった。この機種では初めての経験だった。いつもはいったん地上に降りてタラップを使って搭乗する。

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千歳からは路線バスで苫小牧に向かった。
途中、せっかくだからと思ってウトナイ湖を見に行こうと思った。
検索してみると、「ネイチャーセンター入口」で降りるらしい。

そのバス停からとことこ歩き出したが、行けども行けどもそれらしい建物は見当たらない。

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もう引き返そうかと思った頃、やっと発見した。
ところが入口に、平日休みの表示があってびっくり。ちょっと休憩したかったのだが、願いは叶えられず、しかも湖面すらも見えない。

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小鳥のさえずりがあちこちで聞こえるが、葦にさえぎられて姿は見えない。
歩道が続いていたのでそちらへ向かってみるとやっと展望箇所が開けてきた。それでも見えたのは湖面だけだ。鳥の姿には遂にお目にかかれなかった。

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帰り道をとぼとぼ歩き出すと、背中に背負ったバックが急に重くなり、背骨が上から押しつけられるような感じになった。そして、太ももが丸太のように重くなり、歩く速度が極端に落ちた。時速1キロくらいだろうか。

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北海道の消火栓は黄色。

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足を引きずるようにしてやっと停留所に引き返した。

バスに乗ると体格の良いロシア人らしい外国人がズラリと座っている。空席がないかと目を皿にして探すと、あった。

バスが進行していくと、次の停留所が「ウトナイ湖」だった。後で聞くとここで降りるとすぐ湖に行くことができて、白鳥も見られるという。なんともはや。

それにしても、苫小牧は大きな町だ。東西に広い所だそうだ。途中見かけた団地は、北欧のそれのようなセンスのいいデザインの家屋が広い敷地の中に建っている。
イオンのショッピングセンターの大きさは半端ではない。端から端まで何百メートルあるのだろうか。

駅の観光案内所でその晩の食事処を紹介してもらった。候補を何カ所かあげてもらった。

ホテルにチェックイン。
しばし休息の後、夜の巷に繰り出した。

入ったのは、「すし なかむら」。
まずはイカの塩辛を頼む。うまい。塩以外の余計な調味料が入っていない。市販の物は、とにかく何やかにや入っていてお菓子みたいに甘い。本当の塩辛は甘くないのだ。秋田の市場で、甘くないものは無いかと聞くと、自分で造るほかないと言われた。それ以来北海道の寿司屋ではイカの塩辛を頼むことにしている。

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苫小牧ならホッキが有名だ。それとイカの刺身を頼む。

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握りはおまかせにした。
なんと、トロではないか!感激。

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追加

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十分堪能して、帰路についた。
しかし行けども行けどもホテルは見えてこない。
しかし、周りを見渡すとここはすごい飲み屋街だ。

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その光景を楽しむことしばし、迷ったことに気が付き通りがかりの人に聞くと、あっちとのこと。20分か30分くらいあるとのことだった。タクシーが見当たらなかったから歩くほかない。
途中で蕎麦屋を見つけたのでモリを頼んだ。

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やっとゴールイン。ベッドに倒れ込んだ。

忘れ物

昨日のこと、

ボストン美術館の至宝展から購入したグッズ類がいくら探しても見当たらない。

ひょっとしたら列車の中に忘れたかと思って照会してみたら、やはりそうだった。

秋田駅までお出迎えに行く。

それにしてもこの頃忘れ物が多い。

帰りは飲み会。

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東京へ行ってきた

9月11日、上京。

一泊二食7000円の宿に二連泊した。
11日の夕食。飲み物一本付き。

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12日の朝食。普段の我が家のそれよりもずっと良い。

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川越に行くことに決めた。
一度訪問したことがあるが、百名城のスタンプが欲しかった。

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続いて氷川神社へ。御朱印を頂く。

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遅めの昼食は自分への御褒美も兼ねてちょっと豪勢に。

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そして二日目の夕食。

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三日目の朝食。

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酒とうまい物さえあればこの世は極楽だ。

13日は上野へ。
東京都美術館。

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見覚えのある絵。

楽しんだ。

さて、どうしようか。

東京駅まで出て大丸地下で総菜を買おうか、八重洲ブックセンターに行こうか。
しかし、力尽きた。
上野公園入口のレストランでカレーライスを食べて、こまち21号で秋田へ帰った。

ねんりんピック

秋田市など県内各地で始まった。

私は、開会式の前日(8日)、秋田駅で各県選手団の出迎えとそこから宿泊先に向かうバスまでの案内補助を行った。

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終わった後、自分への御褒美に新政ナンバー6 Xを飲む。

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ボランティアはこの日を含む三日間あったのだが、何しろ病み上がりの身、早朝や長時間にわたるものはキャンセルした。

選手団の皆さんはにこやかに挨拶をしてくださる。同じくらいの年格好だからこちらも親しみが湧く。

昨日は開会式。幸い天気にも恵まれた。

二日目の今日は朝から荒れた。
雨が降り雷鳴がとどろく。最悪の空模様だった。
しかし、昼前には晴れ上がり、絶好のコンディションになった。

リゾートしらかみ一号はカモシカと衝突し、同二号は大雨のため、それぞれ遅延したとのことだ。

我が家のハマナスは実がついたと思ったら、また花が咲いた。

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明日も晴れればいいな。

眠い

毎日眠い。一日中でも寝ていられるくらいだ。

原因はわかっている。
毎晩、2~5回くらいトイレに起きるのだ。
睡眠が浅くなる。午後11時に目覚めて、ベッドに入り、「よく眠ったもう朝か」と思うとまだ午前1時だ。最近では小ばかりか大も出ることがある。

便秘を引き起こす薬を服用しているので、下剤を一緒に飲んでいる。下剤というのは水をたくさん飲んだ方がいいと何かで読んだので、夕食後たっぷりと水を飲む。
高齢者は意識して水分をとった方が良いと聞くから、日中飲む湯冷ましや茶も半端ではない。加えて晩酌の焼酎の水割りやビールなど結構な量の液体を摂取している。これでは何度もトイレに行くことになる。

便秘が解消できれば、夜飲む水も少なくて済むが、それは難しい。

かくて今夜も晩酌をたっぷりとやって、明日の寝不足を覚悟することになる。



あまり上品でない記事になった。せめて、千秋公園のハスの写真でも。

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一昨日のことなど

天気が良かったので出かけてきた。

毎日家でごろごろしていたのでは、社会復帰もままならない。
千秋公園を歩いてみて体の仕上がり具合を見てみる。

買物広場で降りるとイベントの開催中。
4枚綴りのチケットを購入して一杯をグビリとやる。

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ちょっと景気がついたところで公園に向かった。
足取りは快調、手術前よりも右足が軽い。
これならボランティア活動復帰も時間の問題かなと思った。

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胡月池の大賀ハスがたった一本だけまだ咲いていた。
私を待っていてくれたのだろうか。
可憐な美しい花だ。

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公園内をあちこち歩いてみて、「これなら大丈夫、いける」と思った。
やっぱり好きなんだな。

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再びアゴラ広場に戻り、ビールを3杯。

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良い一日だった。

後縦靱帯骨化症闘病記(補遺)

贅沢な食事

手術後しばらくは、ベッドで食事をさせてくれた。転倒防止の柵の上に細長いテーブルを渡してその上に食器を並べる。
欧米の映画やテレビドラマなどでよく見る貴族や金持ちの食事風景と同じだ。日本人の感覚からするとパジャマを着たまま寝床で食事をするのは行儀が悪いと思うけれど、考えてみればこれは極めて贅沢な食事ではないかと思う。調理して運搬してくれる人、つまり使用人がいなければできない。
入院中は、調理する人たちがいて、運んでくれる看護師がいた。


開き直り

入院中、看護師の目の前で、下半身の表と裏をさらけ出すことがしばしばあった。初めのうちは恥ずかしかったが、やがてくそ度胸がついて、エエイどうとでもなれと開き直った。そうしたら恥ずかしくもなんともなくなった。

浣腸や入浴の介助など看護師がかいがいしく世話をしてくれた。感謝、感謝だった。


抜糸

抜糸というのは相当痛いと聞いていたから、覚悟していた。しかし、始まってみると拍子抜けしてしまった。
首の後部と背中でテープを剥ぐような音がする。そして、「終わり」と言う。「えっ」と言うと「終わりました」とのこと。「抜糸ですよね。もう終わったんですか」と聞くとそうだと言う。
糸で縫ったのは、表皮の下、筋肉の部分だそうだ。そこをやがて筋肉と同化する糸で縫い、表皮にはテープを貼った。今はそれを剥ぐのを抜糸というのだそうだ。


楽しみ

入院中は閑だ。どうやってすごすか。たいていはテレビだろう。病院には各ベッドごとにテレビが備えられていて、カードを購入して視聴するシステムだった。しかし、スピーカーがついていない。イヤホンを端子に差し込んでそれで聞く。私は煩わしくてほとんど利用しなかった。小さなスピーカーを購入してみたが、これも余り役に立たなかった。
読書。さぞかし読めるだろうと持ち込んでみたが、それは手術までの話。キングダム他ミステリー一冊。重宝したのは、電子ブックだった。7インチの台湾製タブレットを持ち込んだのでKindleで浅田次郎や藤沢周平の作品を読んだ。これは便利だ。軽いしページめくりも簡単。場所もとらないしこれからはこれがいいなと思った。退院してからも既に数冊を買い込んで交互に読んでいる。
例によって、失われた時を求めてに挑戦しようと今度はコミックを持ち込んだ。これは良かった。まだ読み終えていないがこれなら完読できそうだ。これで梗概をつかんで文庫に再度挑戦。うまくいくかな。


水害

退院して間もなく、水害に襲われた。7月23日、先に起きた家内が「お父さん(「俺にはお前みたいに老けた娘はいない」と何度も言っているのに)、大変、道路に水が溢れている」と言う。窓から見ると道路が冠水している。徐々に水位が上がりやがて膝上に達するようになった。

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御近所も誘い、近くの避難所に駆け込んだ。しかし、体調が悪い。横になりたいけれどそこでは無理だった。結局私一人が帰宅して、ソファーに倒れ込んだ。幸い、水は床下浸水まであと7センチのところで止まり、少しずつひけていった。深夜家内が帰宅した。


生グソ

今シーズン初めての生グソ。生グレープフルーツ・ソフト。略して生グソだ。
この時はあまり混んでなくて比較的早く食べることができた。

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8月6日、この日は猛烈に混んでいた。立っていると背中が重苦しくなって早く横になりたいと思ったが、そこは我慢。
この日は生ミルク・イチゴ・ソフト。酸味と甘味のちょうど良いバランス。

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お盆

退院後ちょうど一ヶ月の8月15日、車に乗せてもらって墓参りに行った。その後、象潟の道の駅まで行って、岩ガキを堪能。

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50年くらい前は、岩ガキは秋田と山形の日本海側でしか食べていなかった。「この時期のカキなんて」と言われたものだが、今は全国各地で食べられている。

昼は道の駅で冷やし中華。

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夜は、焼肉。

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このくらい食べりゃ、体も良くなるだろう。


筋トレ

筋肉トレーニングのため、このようなアイテムを購入した。病院でも使っていた物だ。両足の足首に装着して脚の上げ下ろしなどを行う。

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がんばるぞ。

相変わらず、首筋が突っ張るような感覚。人間の表皮というのは伸びるのだろうか。



後縦靱帯骨化症闘病記

5月30日初診、6月13日入院、同月29日手術、7月15日退院、現在に至る。

経緯

この病気の診断は、今からおよそ30年前に下っていた。
たまたまひどい頭痛がして病院に行き、診察してもらうと「後縦靱帯骨化症」と告げられた。

頭痛は、いわゆる緊張性頭痛で、薬を飲むと軽快したが、問題は骨化症の方だ。このまま症状が現れずに生涯を終わることもあるが、顕在化すると痺れ、果ては四肢の麻痺に至ると言うことだった。その頃まだそれらの症状が出ていなかったので、経過観察でたまに検査をすることにして最近まで来た。たまに腰や肩が痛むことがあったが、対症療法で切り抜けてきた。

それが数ヶ月前から、首をそらせたり、腰を曲げたりしたのをきっかけに、体の一部が突然熱くなりやがて右手右足が痺れるようになった。更に右足がもつれて良くつまずく。神経内科、耳鼻科、整形外科、脳外科とおよそ考えられる診療科をめぐってみたが、はっきりした診断はなく、自分では加齢に伴う神経系の異常だろうと思った。

しかし、ふと自分は後縦靱帯骨化症という爆弾を抱えているはずと思い至った。それならば、経験豊富な医師の診断が必要だろうと思い、いろいろな経緯を経てふさわしい医師を紹介してもらった。

5月30日。レントゲンなどの検査の結果、手術をしなければならないほどの状態に至っていると告げられた。その結果、うまくいって現状維持、そうでなければ四肢麻痺とのことだった。このまま何もしなければ当然のことながら進行する。しびれから麻痺に至るかも知れない。
もはや選択肢はない。即、手術をすることにした。入院日は6月13日に決定。


準備

入院までの間、やることがたくさんあった。

この病気は厚生労働省の指定難病なので、手続きを踏めば医療費が極めて低額になる。提出する書類をあれこれ揃えて保健所に持っていくと、これとこれが足りないと言われ、暑い中を再び市役所に行く。やっと申請がが終わると、「認定されて証明書が交付されるまで3ヶ月くらいかかる」とのことだった。ただし、申請した日に遡って適用になるので以後の治療費はカバーされるとのことだった。

その他にも高額医療費の限度額適用認定証の交付申請など。

入院中に使用するスニーカー等の履き物、日常雑貨などの購入。

入院日までに、京都旅行をこなし、(http://blog.honyomi.jp/201706/article_1.html)その日を待った。


入院・検査

その病院は山の中腹にあった。

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入院すると直ぐに検査が始まった。

血液、CT、レントゲン、MRI、そして脊髄造影。脊髄造影を除くとこれまでも経験済みだったから、それほどのストレスもなくたんたんと進んだ。

しかし、脊髄造影は怖かった。脊柱管内に注射で造影剤を注入する検査だ。相当痛いと聞いた。危険があるとも。当日、点滴をしながら検査室までストレッチャーで運ばれた。検査台に移り背中を丸めて両膝を抱える。「チクッとしますよ」と言われて麻酔の注射。そして造影剤の注入。あまり痛くない。麻酔も、えっ、これで終わりと思うくらいあっけなく終わった。歯医者の麻酔よりもずっと軽かった。案ずるよりも産むが易とはこのことだと思った。後は様々な姿勢をとっていろいろな角度からレントゲン撮影。これらで全ての検査が終わった。


給食

入院当初は普通食だったが、高血圧のため降圧剤が処方されていることがわかると高血圧食になった。塩分が少なくて味気ない。いろいろな出汁を使ってそれを補っているからそれほど辛くはなかったが、やっぱり塩分は最高の調味料だと思った。

パン食を希望したら、朝食に数回出て、うち一回は食パン6枚切りが2枚も付いて驚いたものだ。しかし、パン食は高血圧には適さないらしく、やがて丼飯に変わった。

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手術の直後はおかゆ食で、直ぐに普通の御飯に変わったが、高さのある厚いカラーが首をぐるりと撒いた状態では、箸が容易に使えない。ぽろぽろとこぼし、食べ物がカラーと首の間に落ちていく。再びおかゆ食に戻してもらっておかずも細かく切ってもらった。これをスプーンで口に運ぶ。

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入院中一番多いおかずは鯖の塩焼きだった。私の好物だから異存は無かった。
暖かい物は暖かく、冷たい物は冷たいままで提供され、病院食も改善されていると思った。味や見た目はいわゆる病院食。
血圧はあっという間に下がり、体重も6キロ近く下がった。効果は抜群だった。


リハビリ・温泉

手術前からリハビリが始まった。500グラムから始まってやがて1キロのウエイトを装着して足の上げ下ろしや足踏み、自転車漕ぎ。体全体のマッサージなどで体は軽くなった。
この病院には天然温泉が引き込まれている。病院の6階にある浴室からは周囲の山々が眺められる。術前、術後に入ったが特に術後の入浴は気持ちが良かった。


一時帰宅

2回、一時帰宅が許された。
入院中御法度のアルコールを補給。
少しばかり、町の雰囲気を味わった。

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手術

予定日の数日前にドクターから説明があった。写真を見せられながら、病巣についての説明。やはり、うまくいって現状並み、最悪の場合には四肢が麻痺するという。翌朝まで考えて、承諾書にサインするようにと言うことだった。不安が募る。看護師に聞くと中には手術を中止して退院する人もいるという。当方には頼りになる相談相手がいる。そのアドバイスも聞きながら結局は自ら決断した。

検査技師がやってきて体のあちこちにマーカーで印を付けていく。電極を貼る位置らしい。手術中に神経にダメージを与えていないか調べるためらしい。
麻酔のドクターもやってくる。
手術室の看護婦が段取りを説明してくれる。若い可愛い人だった。

いよいよその日が来た。応援団が3人。東京から2人、秋田から1人。
朝10時半、手術室へ徒歩で行く。予定では11時から始まり3時15分で終わる。
手術室のベッドに横になると。看護婦が二言三言囁きかける。聞いているうちに意識が遠のいていった。

目覚めると周りに大勢の人がいる。腕をあげろとか足を上げてみろとか言われ、言われた行動をとる。内心ホッとした。ちゃんと動く。麻痺はしていない。この時が一番嬉しかった。

応援団の話では、3時15分に終わるはずが、なかなか終わらないので心配したとのことだ。病室に戻ってきたのは6時前だそうだ。それは心配する。実は、麻酔がなかなか覚めなかったらしい。
手術室に入った直後、電話が来たそうだ。「背中のイボを切除してもいいか」と。私が長年かかって大事に育ててきた可愛いおいぼちゃん、誰かが了解したらいい。


手術後

手術跡は、首の後ろが15センチ弱、背中が15センチとのことだ。自分ではその様子を見ることができない。

体のあちこちからチューブが出ている。酸素マスクが顔の半分を覆う。柔らかい素材だった。父が亡くなる直前やはり酸素マスクを装着したが、硬質のプラスチックだったから痛くて嫌がった。ふと、このタイプなら楽だったろうにと思った。

体を仰向けにしたまま寝る。枕はバスタオルを八つ折りにしたもの。頭の両サイドに砂嚢が置かれる。これで頭を固定する。やがて肩が凝ってきた。痛い。仰向けのままでは疲れる。左右に体位を変更したい。看護師を呼んで頭を動かさないように体全体の向きを変える。大変な作業だと思うが看護師は何度もこちらの希望に応じてくれた。のどが渇くが水は飲ませてもらえない。冷たい水を脱脂綿に含んで口の中を洗ってくれる。そして水分を吐き出させる。こんな作業を一晩中やってくれた。

尿はチューブで排出する。これがまったく違和感がない。尿が出ているのか出ていないのかわからない。これほど楽な排尿はないと思った。寝たきりになってもおしっこで困ることはないなと思った。チューブを外す場合、かなり痛いと聞いたが、私の場合はスムーズで痛みは感じなかった。最初の排尿も痛みは感じなかった。

顔の左端に大きなテープが貼られている。何かと聞くと、ホッチキスを抜いた後に出血したので貼ったという。左右のもみあげの上部にかさぶたがある。これも何かを射した痕だという。俺の頭は何じゃと思った。


看護

この手術は2度と受けたくないが入院なら何度でもしたい。関係者が実に親切で優しかった。特に看護師の皆さんは我が儘な患者を受け入れ、笑顔で丁寧に対応してくれた。術後、体のあちこちが痛い時に、二人の看護婦がやってきて、体を移動するのを手伝ってくれたが、「こんな時でも体を動かすのがうまい」とか上手におべんちゃらを言いながらその気にさせる。何を頼んでも嫌な顔をせずに聞いてくれた。何度でも入院したい病院だ。


人間模様

その女性を初めて見た時は、モデルかタレントがお忍びで入院しているのかと思った。身長が170センチ近く色白、漆黒の髪を腰の辺りまで垂らしている。挨拶をすると優しい声で応じてくれる。結局どのような人か、氏素性がわからぬまま退院してしまった。私は密かに謎の美少女と名付けていた。

うるさい患者もいた。大きな声で笑い話す。ひっきりなしと言うわけではなかったからやがて慣れたけれど、場所をわきまえて欲しいと思った。ここは病院なのだ。整形外科の病棟だから、手術が終われば傷が癒えるのを待つだけ。それも日を追うに従って良くなっていく。内臓疾患の治療を受けている患者とは大違いだろう。摂食にほとんど支障は無い。痛みが和らいでいけばもうほとんど健康体。大きな声も笑い声も出てくる。手術直後で具合の悪い人もいる、静かな環境で入院生活を過ごしたい人もいる。もう少し他人のことに配慮するデリカシーを持って欲しいと思った。


退院

マイカーを持たない私は病院からバスと電車で帰宅した。
そろばん道路をバスで45分、最寄りのJR駅まで乗った。車体の揺れが傷跡を刺激する。背中の真ん中を15センチも切ったから、そこが背もたれに当たって、上下に振動すると苦しくなる。駅について、とりあえず昼食をとろうと食堂に入ったが、早く横になりたい。早々に切り上げて駅の待合室に入った。しかし、硬い座席の背もたれではやはり傷跡が痛い。結局、前の席の背もたれに両腕をついてうつむいて背中を伸ばした。
幸い、特急に乗れたので、柔らかい席に背中を預け、時々体を右や左に傾けて秋田駅までしのいだ。タクシーで帰宅。ソファーに倒れ込んだ。


現在

退院後、自宅で養生している。
体のあちこちが痛くて、寝たり起きたりの毎日だ。
手術直後は、肩が凝って痛かった。今は、傷跡が引きつられるような不快感。上半身全体の筋肉がその時々の姿勢によって場所を変えて痛い。半日も外出すると疲労が蓄積して直ぐにでも横になりたくなる。まっすぐに歩くのが難しい。そんなわけで今月いっぱいはボランティアなどの社会活動を差し控えている。

右手の掌の痺れは術前と同じ。右足のもつれはやや改善して、突っかかることも減少した。ただ、得られたのは安心感だ。以前は転倒した拍子に一気に全身麻痺になる可能性が極めて高かったが、現在はその確率が減少した。

この先、どんな経緯を辿るのか、誰にもわからない。多少の痺れやもたつきは受け入れるしかない。このような状況で少しでも楽しい人生を歩めればいい。




京都へ行ってきた

6月2日。予定では大阪空港に着いたら、JRを使って丸亀、高松と周り、帰りは京都までバスを利用する計画を立てた。丸亀城と高松城へ行くはずだった。

しかし、右腕と右足の痺れがひどく、しょっちゅう躓く。これでは高い所に登るのは無理と判断した。そして計画を大幅変更。

この日秋田空港は雨、大阪空港はいい天気だった。

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モノレール、

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阪急を乗り継いで、烏丸へ。地下鉄南北線と東西線で母校へ向かった。
少し、打ち合わせをして大津に向かった。

地下鉄東西線の御陵で乗り換えるところ終点まで行き、いったん改札を通って再び御陵に戻り、浜大津を経由して三井寺駅に着いた。

琵琶湖疎水沿いにお寺に向かう。
三井寺の他、実はこの疎水も見たかったのだ。これが京都市の蹴上げまで続いているかと思うと感慨深かった。明治時代によくつくったものだ。

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それにしても暑い。空腹が半端ではなくなった。昼食を抜いて夕食を少し豪華にやろうと思ったが、近くに大衆食堂があって初志貫徹ならず。
チャーシュー麺を食べた。やはり秋田よりは薄味だ。

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上り坂を歩きながら、もう駄目かも知れないと思った。躓くし、疲れる。丸亀城を諦めて良かったと思ったが、それにしてもこれからこの調子ではどこにも行けないのではないか。もう歳かな。

さて、三井寺。実はここの新羅神社(新羅善神堂)にお参りしたかった。
新羅神社は、新羅三郎義光が元服の式を執り行ったところ。
秋田の殿さま、佐竹氏の先祖に当たる。そこでこの神社を目指したわけだ。
ここへ行くのがなかなか大変だった。
タクシーを拾って、行く先を告げても、そもそもそれが何なのか、どこにあるかわからない。市役所の裏の方にあるという、聞いたばかりの情報を告げて、やっと探り当ててくれた。
そこは、内部立ち入り禁止だった。
しかし、板塀の隙間から拝観してお参りをした。

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再び、寺に戻る。

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鐘をつかせてもらう。

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ひやしあめでのどを潤す。

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山頂から市内と琵琶湖を眺める。

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三井寺駅から乗って膳所で乗り換え京都駅に行き、駅前の電気店でスマホの充電器を購入する。


いったんチェックイン。急速充電して、外に出る。

有名料亭の支店に出かけたが、入店を諦めた。それなりの身支度を調えてからでなくては行けないと思った。
錦市場を行ったり来たりしたが、ここはと思うところに出会えなくて、結局2月に入ったことがある五行に行く。30分くらい外で並んでから入店。
まず生ビールの大。

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ふと親友を呼び出そうかと思った。
連絡を取ると来られるという。
その後はもう、飲み、食べ、しゃべり楽しい夜が更けてゆくのであった。

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3日。朝食。野菜をしっかり食べる。

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翌3日、親友から教えてもらった金平糖の老舗に行く。

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たくさんの買い物客がいて、人気の商品数種類は売り切れていた。しかし、食べてみたかったサイダー味は、親友の御母堂が入手してくださり、後でいただくことができた。美味。感謝。
百万遍近くの通りを探訪した。50年近く前、60代か70代くらいのおばちゃんが3,4人くらいで営業していた大衆食堂があった。もやしがたっぷり入った豚汁が旨くて、これに鯖の塩焼き、納豆、御飯大盛りなどを食べたものだ。豚汁の味が懐かしいのだけれど同じ物には巡り会えていない。

午後、メインの用務を終えて京都を後にした。

これからなんやかや忙しくなる。ブログも暫く書けなくなる。

ハワイ紀行 3

5月16日。朝食は和食にした。

なんと納豆がついてきた。粘るけれどもさすがにほとんどにおわない。
魚は鯖。
日本のホテルの朝食とほとんど変わらない。

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予約していたツアーに遅刻してやむなく計画変更。

ダイヤモンドヘッドをぐるりと回るバスに乗る。

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次にダウンタウンの出雲大社に向かった。
御朱印をいただく。日本と同じく3ドルだった。

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ぶらぶら歩いているうちにチャイナタウンに入った。
ふと見ると飲茶の表示がある。
こちらは英語も中国語も駄目、あちらは英語と日本語が駄目。
それでも何とか意思疎通して、と言うより「飲茶!」と言っただけ。直ぐにワゴンがやってきて、熱々に蒸した蒸籠の蓋を取って中身を見せてくれる。後は気に入ったら指さすだけ。
しかし、これが大正解。
旨いの何のって。
様々な食材が織りなす複雑な味。まったく旨かった。他のテーブルでおいしそうな蒸しパンを食べていたので、そのテーブルへ行って「そりー」と言って、皿を指さして注文した。

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カメハメハ大王。

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名も知らぬ大木。

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移動後、前日も購入した果実店でパパイヤを食べた。

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完熟してみずみずしく実に旨かった。

一度、ホテルに戻り今度はワイキキの浜辺を散歩した。
寄せる波を眺めながら、果実店で購入したマンゴーのアイスクリームとシャーベットを食べたが、かなりの量で食べきるのに苦労した。

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浜辺は、しかし、目のやり場が多すぎて、困った。

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そしてクルージング。

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ダンサーは直ぐ目の前で踊ってくれる。
まさにかぶりつき状態。
腰蓑が回るとふわりと風が頬にかかり、この世の極楽だった。

そして夜は更けていくのであった。

ハワイ紀行 2

5月15日。パールハーバー・デラックス・ツァーで真珠湾へ。

まず、零戦。
今でも飛ばすことができるそうだ。

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続いて戦艦ミズーリ。
終戦の文書に調印した甲板や特攻機がかすめた船側の痕などを見る。
大砲の大きさを見ただけであの戦争の物量戦に負けたことを知る。

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昼食はカレー。
大きな豚肉とニンジン、芋(ジャガイモではないそうだ)等が入る。豚肉は角切り。これほど肉の多いカレーは初めてだ。

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その後、人間魚雷回天を見学。乗組員が魚雷に乗ってしまうと、入口の蓋を六角レンチで締めたものだそうだ。中からは絶対にあけられない。なんとも恐ろしい残酷な特攻兵器だ。

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風が強く、戦艦アリゾナの沈没した場所までは行けなかった。
近くまで行ったボートの中から黙祷した。
空はどこまでも青かった。

珍しく実がついた椰子の木。落果して人に当たると危険なので、たいていは摘果するとのことだったが、ここは国立公園なので自然なままにしているのだろうか。

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夜、ホテルでバイキング。
まあとにかくスケールの大きさにびっくりした。
2センチくらいの厚さの巨大なローストビーフ、これ一枚で腹が一杯になった。もっともお代わりしに行ったけれど。

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そしてやはりハワイの夜は更けていくのであった。

ハワイ紀行

5月13日から17日までハワイに行ってきた。

13日、ホノルル空港からショッピングセンターへ向かい。ここで昼食。フードコートでわらじ大のステーキを食べた。

そこからホテルへ。
チェックインがまだできなかったので、ホテル内のショップで早速アロハシャツを購入する。結婚式はこれで臨む。現地では、それが正装とのことだった。

町の散策へ。

夜は、ホテル内の旅行会社ラウンジにて軽食をとる。

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14日。
いよいよ式。
素晴らしいロケーションの会場だった。

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パーティーでのうまいもんの数々。

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半端ではないウェディングケーキ。

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夜はまた、ウィンドーショッピングへ。

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夕食はローソンから買ってきたサンドイッチと牛乳、バナナ、サラダだった。

ニホンタンポポと対面式と筍と

秋田市の千秋公園に行ってみるとニホンタンポポが咲いていた。

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去年初めてセイヨウタンポポとの見分け方を教えてもらった。今年は数日遅い。

午後、近所の小学校でパトロール隊の対面式。
ボランティアで子供達の通学時、見守りを行うことにしている。(滅多にやっていない、深く反省)。
体育館で体操座りをしている子供達。前の方の低学年の子供達は、直ぐに飽きてきてそわそわする。でも可愛いんだな。うちの孫も同じだろうな。

つい先日、京都から立派な筍を送って頂いた。朝早く現地へ出かけて入手した朝取りの物だから新鮮でかつて食べたことのないほどおいしい。
煮物、味噌汁、筍御飯にして頂いた。

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今日は何の日

若い頃は朝から何の日かわかったものだった。

それがいつの頃からか、ただの休みの日になってしまった。

憲法記念日と言えば、県や市町村が式典を催し、憲法講演会などが開かれたものだった。憲法を尊重し守っていこうという雰囲気がどこかで感じられた。今はどうか、憲法の”け”の字も聞こえない。

スクランブル発進が何回あったのと、今にもソ連が侵攻するかと思われるくらい恐怖を煽られ、それでも多くの国民は憲法9条の精神を守ろうとしていた。

安保法制だの共謀罪だの勅語の復活だの、限りなく戦前に後戻りしていくように見える。ほんとにこの国はどこへ向かうのだろうか。

せめて、美しい花でも。

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秋田市の新文化施設について

長く県民に親しまれてきた県民会館の老朽化に伴って、秋田市との連携による新文化施設の設置構想が進んでいる。

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千秋公園の入口に建つ同会館は、私にとっても思い出の多い施設だ。
中学二年生の頃、東京オリンピックの記録映画を鑑賞した。市川崑監督のその映画はどうした訳か一部の人の評判が悪く、”文部省特選”が得られなかった。素晴らしい作品と思ったが、一部の競技の記録がないとか、東京の破壊ばかり描いて建設部分がないとか、子ども心にも良く訳のわからない理屈が並べられていたものだった。

県民会館には併設されて県立図書館があった。冷房設備はなかったが、夏、閲覧室の窓を開け放つと外堀を渡って涼しい風が吹き込むこともあった。

また、玄関を入って直ぐ左手に日米文化会館があった。その名の通り洋書がぎっしり並んだ書棚があった。高校生の頃、その部屋によく遊びに行ったが、英文が読めるわけでもなく、ただその雰囲気に浸りたかっただけだ。

そんな思い出のある県民会館が壊され同じ場所に新文化施設が建てられるという。
大いに結構なことだ。
秋田駅から近く公共交通の利便性がおそらく県内一高い。駅から徒歩で十分かかるかかからないか。最寄りのバス停からなら五分くらいだ。
こんなに便利のいい場所なのに反対する人たちがいる。
①もっと地価の安い交通の便のいいところに立地すべきだ。
②工事中は県民会館を利用している文化団体などの練習、集会場所がなくなる。
などの理由だ。

しかし、①地価が安くて交通の便のいいところとはどんな場所だろうか。普通、交通の便のいいところとは公共交通の利便性の高いところを言う。地価が安いところは郊外だから、これは矛盾する。要するにこの人達が言うのは、郊外で、自家用車の利用が便利なところを指しているのだ。それでは、バスなどを利用する人たちはどうなるのだろうか。新規にバス路線を開設したらいいということだろう。でもこの路線はおそらく長続きしない。なぜなら常時、乗客がいない。イベントの開催される時以外の利用者はいないから、おそらく路線は初めから赤字の予想がつく。いい例がある。県立博物館だ。ここは、かつては秋田駅前発のバス路線が運行されていた。しかし、今はない。自家用車に乗れない、乗らない人たちは、バス停の金足農高前から徒歩二〇分近く、JRの追分駅からもそのくらいの時間をかけて歩く。先は見えているのだ。
だから、ここ県民会館跡地の立地はベストなのだ。
私は、大町の旧ダイエー跡地もいいと思ったが、ここには、博物館を移設してはどうだろうか。赤れんが郷土館、ねぶり流し館などの博物施設がそろっている。

②練習場所などの減少について、これはやむを得ない。しかし、なかいちのAUができて、それ以前とは比べものにならないほど環境は改善していると思う。

秋田市は、コンパクトシティー構想の一環として、駅前に秋田放送の社屋を移転させるなど、中心部の賑わいの創出に努力している。こうした構想をぶれずに推進してもらいたい。

火伏祭

今日は秋田市星辻神社の祭り。

例年雨が降ったり強風が吹く。
今日も強風だった。
こんな日は火事が起きたら大変だ。
前年一年間守ってくださったダルマを返し、これから一年間何事もないようにと新たにダルマを購入する。

星辻神社
美しい名前だ。

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母の大好きだったカルメ焼き。
いつもの場所でいつものお姉さんが焼いていた。

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この先何事もありませんように!!!

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路線バスの旅

秋田ではこの番組の地上波放送が無いので、暫く見られなかったが、BS放送でオンエアしていることを知って、視聴した。

蛭子さんと太川さんのまったく性格の違うコンビに、毎回代わるマドンナが二人のかすがいになって繰り広げる珍道中に、晩酌をやりながら大いに楽しんできた。

このコンビの登場する放送は一段落だそうで、第二弾は出演者を代えて製作するとのことだ。

今はもう庶民の足としての主役の座をマイカーに奪いとられそうな路線バスに着目して、このような番組を着想した人に感心する。

一時間に一本とか、二,三時間に一本とか、路線バスの利便性がドンドン悪化しているのが、秋田だけではないことが良くわかった。(もっとも当地は更に輪をかけて進行しているけれど。)路線バスの魅力は、辺りの景色を眺めながら目的地まで安全に運ばれることだ。マイカーではこうはいくまい。

蛭子さんのキャラクターも大きく寄与していた。その土地の名産や名物には目もくれず、自分の食べたい物を注文する。疲れたらどこでも寝そべる。時に舌禍を起こすけれど、しゃべりたいこと、思ったことを直ぐに口にする。そのため、仲間からひんしゅくを買う。みんなと同じ物を食べ、周りに気配りをして当たり障りのない会話をしてそつなく旅を終える。これでは疲れるな。

さて、次のシリーズ、BSでオンエアされるのはいつのことになるだろう。

またまたまた この頃のこと

4月4日、やっと飲めたよ新政ナンバー6。

蔵元まで買いに行っても入手できなかったその酒が、秋田駅トピコにオープンした”あきたくらす”で初めて飲むことができた。rとsの二種類を飲み比べてみたが、私はrが気に入った。これからバス時間を待ちながらちょくちょく寄ることになるのかな。

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つまみは枝豆の漬け物。これがなかなかの美味。

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この日、秋田市はうららかな春の日ざしが溢れ、秋田名物ババヘラアイスも店を開いていた。

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トピコ改装グランドオープン初日の1日にはあきた舞妓の紫乃さん小代美さんが入口で出迎え。(掲載の了解は得ております。転写・転載はお断りいたします。)

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ぎっくら かっくん

一日中腰が痛かった。

翌日になるとだいぶ良くなった。

ところが、室内を歩いていて、両膝がかっくんと言って前のめりに転んだ。

もう駄目だと思って整形外科へ。
レントゲンで診ると腰部脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアとのことだった。
膝にヒアルロン酸の注射、リハビリで腰の牽引と電気(正確に何というかは知らない)。そして余り歩くなと女医さんがおっしゃる。

歩かないと体重が増える。すると糖が出る。運動しろと医者が言う。
どうすりゃいいんだ。

ぎっくりかっくん

68

とうとうこの日を迎えた。

今日は68歳の誕生日。

そんな年を迎えた実感がさっぱり湧かない。

相変わらず自堕落な暮らしを送り、頭と体は日々確実に衰えて行っているが、気持ちだけはまだ若い。

友人知人で鬼籍に入った人も少なくない。若くして亡くなりどんなに悔しかったろう。

その人達のためにももう少しがんばって、少しは世のため人のためになることをやってみようか。

と、まあガラにも無いことを考えて・・・・・

明日を迎える。

由利・庄内紀行

3月16日、ひな街道へ。

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最初に訪れたのは天鷺(あまさぎ)村。
旧亀田藩の城跡。
亀田藩には、真田幸村の娘お田の方が嫁いだ。
その墓もある。
実はこの亀田藩、幕末にたいそう割を食った。
というのは、戊辰の役が始まった当初は、官軍側だったが終わった時は幕府軍だった。官軍のままだったら,明治維新後それなりの待遇を受けただろうに、しくじってしまった。もっとも、庄内藩などの幕府勢に圧力をかけられ、そうでもしなければ生き残ることができなかったのだろう。
美術館でひな飾りなどを見て昼食会場へ。

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これがなかなかようございました。

羽後本荘駅から由利高原鉄道鳥海山ろく線のおひなっこ列車に乗り込みました。

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矢島に着くと私はまっすぐ造り酒屋へ。

もちろん試飲です。

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再び駅へ戻り、バスに乗って道の駅で買い物、秋田駅に着いたのでありました。


さて、20日、彼岸の墓参に行ってきました。
今は、カラスの被害があるとかで,墓前へ供物を供えることができません。
お位牌堂に供えてきました。
甘い物も辛い物も大好きだった父、菓子や果物好きの母、何でもよく食べた祖母のために、多様な物を準備しました。

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さて、いい天気です。
酒田へ行こうと思いました。
羽越本線で一時間くらい。

豪商本間様や北前船の寄港で栄えた港町です。
羽越本線の沿線は日本海の海岸が続きます。

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駅の案内所で教えてもらって、まず山居倉庫へ。

http://www.sakata-kankou.com/spot/165

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続いて本間家へ。

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その後もあちこち歩き、しかしもう昼飯抜きだったのでガソリン切れ。

直ぐ目に付いた回転寿司に入ったのですが,これが大正解。
うまかったです。
特にこの大トロのうまかったこと。それでいてリーズナブルな価格。
ああ港町酒田と思ったことでした。

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土産は,古鏡、民田ナスの辛子漬け、冷凍だだちゃ豆などを買ったのであります。

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これが民田ナスの辛子漬け。
小粒のナス、とにかく辛い。そしてうまい。
少し時間が経つと辛みが劣化しますから、辛いのが苦手の人はその頃食べたらよろしい。

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降りる

先日のこと、停留所にバスが止まると、女性が椅子から立ち上がった。

すると、その女性の動きを封ずるような形で立っていた年配の男性が、「降りる」と言った。
意味を判じかねた女性が,かいくぐって出口に向かおうとすると、また「降りる」と言った。

この場合、「降りる?」なのか、「降りる!」なのか私にも良くわからなかった。

はっきり「俺も降りる」と言うか、主語を省略しても「降ります」と言えば間違いなく意味が通じる。

実はこの男性、以前も尊大な態度で乗客の一人と険悪になり、乗客からひんしゅくを買った人だ。

何もそう威張らなくてもいいのに。


えっ、お前のことだろうって?
ちっ違います。ホントですってば。

わからないことだらけ

頭の悪い私にはわからないことが多すぎる。

1 森友学園に売却された土地は、もし評価額とゴミの撤去費が同額の見積もりなら、評価額-撤去費=0になるから、ただで譲渡されたのだろうか。

2 行政の側に、的確に撤去費を見積もる知見が無ければ、普通は民間の業者などその能力のある者に委託するのではないだろうか。

3 写真で判断する限り、ゴミの集積場として適切な場所には見えないが、 そもそも撤去費が8億円にもなるゴミを今まで放っておいて、何らかの法規に抵触しなかったのだろうか。

4 国有地処分の手続きは適正で、本当に適切な相手方を選んだ結果なのだろうか。 

5 なんとか政務官が、視察先で人におんぶしてもらって、問題になったと思ったら、今度は「長靴業界はかなりもうかったんじゃないか」としゃべって、謝罪したそうだ。総務省のお偉いさんだったから、自分の行く先々で必要な物は誰かが用意してくれると思ったのだろうか。でも、靴を脱いで裸足で水の中をジャブジャブ歩いたら,男を上げたんじゃなかろうか。そうすれば長靴業界に言及することもなかったんじゃあるまいか。(私は長靴大好き。雪でも雨でもどろんこでもどこにでも行ける。)

6 暫く前から立ち上がると腰が痛むけれどどこか悪いのだろうか。咳もなかなか止まらないが、呼吸器系に異常があるのだろうか。また雪が降るそうだけれど、お天道様もどこかが悪いのだろうか。

まだまだあるけれど,本日ここまで。

京都の朝 夜 など

例によって京都の朝、二日分。

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2月25日

朝、ホテルのレストランに入ると、近くの女性がスマホで音楽を聴いているらしかった。
私の好きな音楽ではない。イヤホンをしているところを見ると、どうも音漏れがしているようだ。何度か注意してやろうと思ったが、その内、出て行った。しかし、しかし。音楽はそのままなのだ。何のことはない。BGMだったのだ!ああ、思い込みは怖い。

午後から大事な会議がある。午前中に必要なことを済ませておこうと思った。

まず、ぶらぶらと錦を歩く。

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いろいろな店に外国人の姿がある。
日本人の私でも面白いから外国の人たちならなおさら楽しいことだろう。いいことだ。
夢中で試食しているグループもあった。見ていてほほえましい。

再び高島屋へ入った。
この日は,まず阿闍梨餅の購入だ。京都駅の伊勢丹は人でいつも一杯だけれど,ここは比較的早く買うことができる。

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続いておもちゃ売り場に行き、マジックのネタを購入した。

バスで衣笠へ。
今回のメインがこれ。

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まず、この建物を見学した。

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素晴らしいの一言。
私が現役の学生なら、最高の昼寝のポジションになったに違いない。

会議の後、懇親会をはしごして、最後に着いた場所がここ。
店員にかなり大きいですよと言われたのだが、確かに大きかった。

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久しぶりの〆のラーメン。うまかった。

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そして京都の夜は更けていくのであった。

お土産の数々。

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城南宮 しょうざん 舞妓 将軍塚

2月24日秋田空港を発って大阪空港へ。

秋田は吹雪

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大阪は曇りだった。

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この後の行程は、迷いに迷った。
最初は、大阪府唯一の村千早赤阪村に行こうと思った。
ここには日本百名城の一つがある。
しかし、どう考えてもこの時期はふさわしくない。もう少し暖かくなってからの方がいいと思った。

次は、美術館めぐりだ。
あべのハルカス美術館と国立国際美術館だ。そしてその後に城南宮に行こうと思った。しかし、国立国際美術館までの交通の便が余り良くない。
そこで、城南宮一本に絞った。

大阪空港からモノレールと阪急電車で四条河原町まで出て、高島屋でお土産を見繕う。
従妹から聞いた高級ポッキーバトンドール、ゆずポン酢、更にちりめん山椒を購入、続いて花遊小路のよーじや本店であぶらとり紙、寺町の鳩居堂で匂い袋他、ギャラリー遊形で俵屋の石鹸を購入してからいったんホテルに立ち寄り荷物を預け、京都駅八条口に向かう。

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タクシーに乗って、城南宮へ向かった。
ここはいくら調べても公共交通機関の利便性に疑問があった。タクシーで目的地へ向かいながら「ああ、これを選択して良かった」と思った。歩くのは無理。

素晴らしい庭園だった。梅はまだ満開ではなかったが、それでも十分楽しむことができた。

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抹茶もいただき、楽しい一時を過ごすことができた。

その夜、舞妓はんとしょうざんの観光バスに乗る。

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北山杉の台杉という仕立て。

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そして将軍塚から京都市街を望み、

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・・・・・・・・・・夜は更けゆくのであった。

今日も今日とて

一週間ほど前から風邪を引いている。

熱は無いから風邪だと思うが、咳がなかなか抜けない。
薬は、シロップと漢方。
痰は止まったから、後は時間の問題と思う。

先日は、家内が買ってきた飲む点滴甘酒も服用した。体が内部からほっこりと温かくなる。いいもんだ。

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昨夜は、家内がおととい行ってきた湯沢市三関のセリづくしだった。

根の天ぷら、茹でてそのままの姿で食べるおひたし。

うまかった。

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湯沢は子供の頃住んでいた。
雪の深い地域だったから、水は透明で澄み切った清流そのもの。その水だまりで、素手でセリの泥を落とす。真っ赤な手とみずみずしい緑のセリ、そのコントラストが忘れられない。

えぐどー しょりこー

わかりやすく書き直せばこうなります。

行(え)ぐどー 橇(しょり)こー

「こ」は秋田弁で名詞の下に付ける。

子供達が雪の山に登って、橇で滑り降りる時、このかけ声をかけます。

もう60年くらいも昔、秋田県湯沢市に住んでいた頃。

さぼやかんこちゃん、さとちゃん達と遊んでいた頃。

他の地域ではどうなるのかな。

行くぞう 橇ちゃん

行きまっせ お橇はん

”雪 ゆき snow” + 歌声喫茶カンプレ45

12年前の今日、このタイトルの記事で始めたのがこのブログ。http://blog.honyomi.jp/200502/article_1.html

よくまあ続いたものだと思います。
これも大勢の読者の皆様のおかげ。厚く御礼を申し上げます。
いよいよ13年目に入りますが、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

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  画像個別ページ合計   
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                      ()内は昨年同期。

それにしてもひどい雪です。
掻いても掻いても積もります。人の心を萎えさせます。
雪害は、長期にわたりじわじわと影響を及ぼします。始末が悪いです。

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そんな中でも楽しいことがありました。
歌声喫茶です。
昭和40年代の歌を歌いました。

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今日も雪

去る7日、ドサリと降った雪を寄せて、やれやれと思ったら今日も降った。

7日の雪は、軽くて除雪が楽だったが今日は重い。

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下手をすると腰や膝を痛めかねない。

こんな時は本当に憂鬱だ。

7日の時も今日も、除雪車は来ない。

共助だとか自助だとかでなるだけ自分たちだけでやらせる算段だ。

今はまだいいけれど、後5年もすれば共助も自助もできなくなる。

人口は減少し、高齢者は増えるばかりだ。

人口減少対策よりも、もはやそれは既定の事実として、少ない人口でも豊かに暮らす方法を講じてもらいたい。

さしあたり除雪だ。

いつもの除雪三点セット。

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写真はいずれも7日。

キングダム

一巻から四十四巻まで読み終わった。

従妹が紹介してくれたもので、一、二巻を購入後暫く放っておいたのだが、読み始めるとこれが面白い。
既刊が四十数巻にのぼるというので、適当なところでストップしたのだが、また読書欲に火がついた。
結局デジタル版既刊の四十四巻全てを読了してしまった。

初め紙ベースの本で読んだのだが、複数巻になるとこれが結構いい値段だ。デジタル版の方が少し安いのを知って、Kindle版に切り替えた。

私は古本や貸本が苦手。だから大概新本を購入する。
この頃は、デジタル版がかさばらないし、文字の大きさを自在に変えられることから、こちらの方が気に入っている。

物語は、紀元前の中国が舞台。主人公の孤児の少年がもう一人の少年とともに磨いた武力を頼りに、大将軍を目指すという成長ストーリー。
ほとんどが戦闘場面だから残酷なシーンの描写も多いのだけれど、いわゆる漫画調で細部をリアルに描いていないから目を背けるほどではない。それも人気の一つだろうか。

四十五巻はデジタル版がまだ配信されていない。紙ベースなら読めるけれど、さてどうしたものか。